「伝説のゲームクリエイターに聞く」第3弾

7月に入り、蒸し暑い季節となりました。
本日は、毎年恒例夏のゲーム保存協会主催イベントのお知らせです。
昨年はファルコムの豪華ゲスト人を招き、多くの方のご参加をいただいた定例イベントですが、今年は元ティーアンドイーソフトの内藤時浩さんをお迎えし、「ハイドライド」をはじめとする名作ゲーム制作の裏側や当時の雰囲気などを語っていただきます。
 
ゲーム保存協会特別講演「伝説のゲームクリエイターに聞く」第3弾
【ゲスト】 (司会・ゲーム保存協会 福田卓也)
ゲームプログラマー 内藤時浩
 
【日時】 2018年8月4日(土)14:00時~17:00時
【場所】 マイステイズ御茶ノ水コンファレンスセンター
東京都千代田区神田淡路町2-10-6、地下鉄丸ノ内線淡路町駅下車徒歩3分
【会費】 無料(要予約)
 
Conference
 
※同日同講演会場横の会議室にて当時のソフトパッケージなど貴重な資料を展示する「ティーアンドイーソフト―名作ゲームを振り返る―」展(無料)を同時開催しております。こちらは13:00時から16:00時までの開場となりますので、講演の前にぜひ足をお運びください。
 
今回のイベントは、名作「ハイドライド」シリーズの生みの親としておなじみの内藤時浩さんから直接お話を伺う非常に貴重な講演です。
 
会場は秋葉原からほど近い「マイステイズ御茶ノ水コンファレンスセンター」。今回の講演は席数が限られております。参加ご希望の方には事前の予約をお願いしております。
 
・ゲーム保存協会サポーター会員の皆様には前方優先席のご用意がございます。
・それ以外の一般のお客様は、後方一般席でのご案内となります。
 
一般席の予約は、まず以下のフォームより必要事項を送信願います。
サポーター会員様のお受付終了後7月中旬に、空席状況に応じフォームを送信いただいた順番に、一般のお客様のお受付をさせていただきます。予約者番号をメールにてお知らせいたしますが、応募者多数の場合はご希望に添えずお断りをする場合がございますので、あらかじめご了承ください。
 
現在満席
 
サポーター会員として年会費の納入をいただきますと、前方優先席をご用意できます。
また、サポーター特典として、お一人さま一つに限り、お好きなゲスト1名に質問をしていただけます。この他、各種パーティーやゲーム保存協会作成オリジナル冊子のプレゼントなどがございますので、この機会にぜひ、サポーターとして当協会の活動にご参加ください。
 
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当日、皆様と会場でお会いできることを楽しみに、たくさんの方からのご予約をお待ちしております。
 
NPO法人ゲーム保存協会

公式データベースへの最初の一歩

文化庁助成事業 「レトロゲーム・データベースのデータ入力」を行いました
 
吹く風が肌に心地よいこの頃ですが、皆さまいかがお過ごしですか? 今回は、さわやかなこの季節にぴったりの、嬉しいニュースをお届けします。
 
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、数年前から日本でも、文化庁が中心となって漫画やアニメ、ゲームといった新しいメディア芸術をアーカイブし、文化活動をさらに豊かにする取り組みを行っています。NPO法人ゲーム保存協会では、昨年より文化庁が主催する文化芸術振興費補助金メディア芸術アーカイブ推進支援事業に参加していました。
私たちが事業に参加する前から、国が公開しているメディア芸術アーカイブのデータベースにはいわゆるレトロPCゲームのエントリーもありましたが、不十分な情報掲載や不確定な情報の入力が目立っており、現物資料を保管する当協会として国の取り組みに協力しきちんとしたデータベースを公開したいと考えました。
今回は2017年10月から2018年3月までほぼ半年をかけ、当協会が完品を所蔵するPC-8001シリーズとPC-8801シリーズのソフトを、すべて現本を確認しながらデータベースに入力しました。
実は文化庁の助成金は助成対象プロジェクトの全体をサポートするものではなく、全体予算のうち4割は団体側が自己負担する必要があります。皆様からの日頃のご支援がなければ、応募すらできなかった事業です。
文化庁へのデータの受け渡しも終了し、公開が予定されている一方で、今回の作業で確認した情報のうち文化庁側では公開されないより詳細な情報を、ゲーム保存協会のデータベースで公開できるよう準備を進めています。
 
今回、助成を受けたメディア芸術デジタルアーカイブ事業と呼ばれる文化庁の取り組みですが、皆さんもご存知の「クールジャパン戦略」の一つとして、アニメやゲームといったコンテンツの発信に力をいれようという国の動きのひとつです。文化庁では漫画、アニメ、ゲームやメディアアートなどを大きく一括りに「メディア芸術」と呼び、数年前から様々な助成活動を展開しています。毎年開催されるメディア芸術祭での作品展示や表彰もその一つですが、新しいコンテンツを生むには過去の作品のアーカイブが大切。どんなに有名な画家であっても、過去数世紀に渡る名画の歴史を学ばずに新しい作品を描くことはできません。歴史なくして、未来は作れない。ということでメディア芸術も同じく、過去の作品のアーカイブが重要と考え、現在はこのような活動へ予算が付いています。
平成22年度以降、文化庁でもアーカイブに特別に予算を割くようになり、年間約15億円のメディア芸術振興予算のうち、一部がゲームのアーカイブのために使われました。その後5年間、事業名の変更もありましたが、一部ではあれゲームのデータベース作成のため予算が確保されてきました。(参考資料は記事最後にございます)。
例えば平成29年度にはメディア芸術連携促進等事業のため、3億6700万円の予算がつけられ、産官学が共同でアニメや漫画やゲームといったメディア芸術の資料を保存、データを登録することで「ジャパンサーチ(仮称)」という大きなデータベースに統合する様々な取り組みが企画されています。
こうしたこれまでの取り組みにより現在文化庁が公開するデータベースにはコンシューマーソフトが4万件リストアップ、アーケードが5千件入っていますが、PCソフトは2千件ほどにとどまります。日本のゲーム史を知っていれば、日本のゲームコンテンツの中でPCゲームの割合はもっと大きいことがすぐにわかるはずです。プレイステーション発売前のいわゆる「レトロ」と呼ばれるゲーム黄金期に絞って考えれば、発売されたゲームタイトルのうち70%はPCソフトです。その後の時代を含めた全てのゲームソフトを網羅して入力したとしても、登録件数のうち40%ほどがPCソフトのタイトルになっているはずですが、文化庁が公開するリストでは圧倒的に少ない数しか登録されていないことがわかります。
国が発表しているデータベースなのに、実際のゲームの歴史に照らして報に明らかな偏りがある点に問題を感じた私たち。特にレトロPCゲームのアーカイブ化に自信のあるゲーム保存協会として、文化庁のデータベース事業に関わる事にしたのです。
 
入力された情報は全て一次資料と呼ばれるソフト原本を確認したもので、ソフトの状態も、箱やソフト、説明書などに欠品のない資料のみを使っています。
ひとつずつソースを確認し、PC-8001とPC-8801シリーズから、あわせて1500本以上のソフトの情報を纏めました。当協会の所蔵には同一ソフトが2本以上あるものもありますが、場合によって細かなバージョン違いが見つかる可能性もありますので、それらも含めてすべて確認しました。作業に従事したスタッフは合計で3000本以上のパッケージを目視で確認しました。
今回の入力はすべて原本を完品で持っているものに限って作業をしました。そのため、当協会が完品を保有していない資料は入力されていません。ですが、原本確認を経て得られた情報は全て確実に存在し、実物で証明できる情報です。必要があれば、いつでもアーカイブから資料を出して同じものを確認できます。
また、ゲーム保存協会では資料の情報入力に、アーカイブ先進国であるフランスの手法を取り入れ、汎用性の高いデータベースを作っています。パッケージ上のゲームタイトルの表記法から、サブタイトルの区別まで、資料を手元に持たない人でも情報を見るだけでほしい情報がすべて手に入るよう記載しています。将来的に、こうした当協会の正式なデータベースを、文化庁側の情報とつなぐことができれば、資料を検索する人たちに大きなメリットがあると考え、こちらも公開に向け少しずつ動き出しています。
 
皆さんは、図書館や本屋さんで本を探したことがありますか? ぼんやり立ちよって本棚を眺めて探すのではなく、必要のある特定の1冊を探した経験です。レポート作成や論文記事執筆などするお仕事であれば、日常的にこうした資料の検索をしますが、何か特定のことを調べたい時、きちんとしたデータベースが存在することはとても大切です。Wikipediaが登場し、ブログやSNSも一般化した現在、ネット上には様々な情報が散らばっています。調べ事をするのに気軽にキーワードを打ち込み、検索でヒットしたページを開けば、確かに自分が知らなかったことが書かれていたりします。ですが、そうした情報がどこまで信憑性の持てるものなのかは、どうやって判断するのでしょう? 文章やサイトの雰囲気は何のあてにもなりません。大切なのは、情報の出どころである「ソース」がしっかりと記載されているかです。
図書館のOPACやCiNii、JSTORなどに登録される資料情報は、どれも実際の資料を持つ図書館司書やアーキビストが情報を確認しながら入力しています。そこに出ている情報は、資料そのものを見て書かれており、資料を取り寄せたい時に必要な書誌番号や出版社情報、資料の所蔵館情報などが含まれますから、「このデータベースに入っている情報=実在し、読むことのできる資料」です。人の未来を左右するかもしれない様々な研究で、存在するかどうかわからない資料に右往左往させられてはたまりませんから、信憑性は、きちんとしたデータベースにとって重要かつ基本的な要素です。ゲームも全く同じです。
 
ゲームも現物を確認せず作られたデータベースには信憑性がありません。たとえば書籍でも、どこかの雑誌に「近日出版」と広告が載っていながら、何かの理由でそのまま出版されなかった本だとか、広告に掲載された出版日を過ぎて出版されたものなどがありますね。ゲームの場合はそうしたケースが沢山ありますし、雑誌やゲーム会社が出しているカタログはあてになりません。最終的に出来上がって世に出たゲームそのものを確認しなければわからないことが、沢山あるのです。
たかがゲーム、されどゲーム。ゲーム資料を検索する人が、適切な資料に確実にたどり着けるツールを準備することは、ゲーム文化の未来にとってとても重要なこと。また、信頼のおけるゲーム資料のデータベースができれば、それまでゲームについて調べることのなかった別分野の人たちにも、ゲームという資料が学術的にも意味のある信頼できるコンテンツとして受け入れられ、たとえば20世紀の社会や経済の動向を研究し、これからの政治や世界を考える人たちや、過去の科学技術の発展から新しいテクノロジーの未来を予想し切り開く人たちなどにも、情報が参照され活かされるかもしれないのです。
文化庁側のデータベースに今回私たちが行った作業分のデータが反映更新されるまではまだ少し時間がかかるようです。ゲーム保存協会ではそれより一足先に、今回の助成事業で得た成果を皆さまに発表できればと考えております。単なるリストではなく、資料状況を正確に記載した専門的なゲームソフトのデータベース公開にむけ、私たちは最初の一歩を踏み出しました。
 
「このゲーム、なんだろう?」
そんな好奇心から生まれる豊かな未来を信じて、
データベース作成にもゲーム文化への深い愛を混めて真摯に取り組みます。
先にも述べたとおり、国の助成金を得るにもまずゲーム保存協会自体に、活動を継続し適切な運営を続けられるだけの資金力がなければなりません。
私たちのもとにはシャープのMZシリーズやXシリーズ、やNECのPC-6001やPC-98シリーズ、富士通のFMシリーズやMSXといった、他機種のソフトが揃っています。こうした資料を適切な形でデータベースに入力し公開するためにも、ゲーム保存やアーカイブに関心を持つ皆さんの声援が必要です。
今後もこの取り組みを継続するために、ぜひ、一緒に活動を支えてください。
 
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メディア芸術連携促進事業の予算及び要求額に関する資料等(PDF形式)
 
平成29年度メディア芸術アーカイブ推進支援事業/採択一覧
メディア芸術の振興に関する平成22年度施策の概要資料
デジタル・アーカイブについて
メディア芸術分野(平成27年度)
メディア芸術分野(平成29年度)
 

内部で使っているツールの一画面(ハイレゾ)

Kotaku

日本のゲームの救出

元の記事はKOTAKUから(投稿日:2017年10月12日)https://kotaku.com/saving-japans-games-1819339226(英語)
 


東京のNPO法人が劣化消滅の危機にある初期日本ゲームの保存に取り組む。
 
9月、日曜の朝。この日は台風18号の影響で西日本は豪雨に見舞われていたが、ちょうど逆の西日本側、東京都等々力駅周辺では小雨が降る程度に勢力は弱まっていた。渋谷の有名なスクランブル交差点から電車でおよそ20分、等々力はローカル線各駅停車が一本だけ通る穏やかな住宅街だ。9時半に電車を降り、安物の小さな傘を出す。グーグルマップを見ながら、ファーストフード店やコンビニが集まる改札前の小さな商店街を通りすぎた。小さな店々に代わり木々が見えてくる。東京都心部では見ることのできない情景だ。曲がりくねった道、ガソリンスタンド、青々と葉の茂った庭にゴルフの打ちっぱなし練習場。
 
道に迷わないよう握りしめるスマホのスクリーンに台風の細かな雨粒が弾けた。ここは観光客用の町ではない。特別な理由がなければ決して立ち寄ることのない町、それが等々力だ。だが私には今回、その特別な理由があった。この道の先に、日本の初期コンピューターゲーム13万本以上を集めたコレクションがある。こここそが、消えつつある日本ゲームの歴史資料を保存する草の根運動発祥地、グラウンド・ゼロなのだ。
 
駅から1キロほどの静かな通りに、門と生垣に囲まれ4棟が連なるテラスハウスがある。この中の一棟が、2011年に日本ゲームの保存研究と資料収集を目的として設立されたNPO法人ゲーム保存協会の本部だ。中心メンバーは殆どが日本人だが、団体を率いている理事長はフランス人のルドン・ジョゼフ。彼は本部と同じ建物内に住んでいる。彼が、コンビニ傘を脇に置いて靴を脱ぐ私を迎え入れてくれた。現在41歳のルドンは、目を引く出で立ちをしている。見事な仕立服を着て、頭髪から眉毛まで綺麗に剃り、細いフレームがついた丸眼鏡はまさにマッドサイエンティストといった風貌。彼は「時」を相手に、負けがわかりきった戦いに挑むある種の絶望を込め、静かに語りだした。
「日本では、ものを捨ててしまうんです」と彼は語る。
 
「これは文化的な違いなんですが、例えば今日は台風でしょう?ちょっと前には地震もありましたね。気が付きませんでしたか?とても小さい地震ですが、とにかくこの国は海の上の岩みたいなものですから、自然災害だらけなんです。考え方や生き方、物の継承の仕方など、ここでは全てが異なります。この国で家を建てても、30年後にはいったんつぶして建て直さなくちゃならない。」
これは古いコンピューターやフロッピーの保存にとって芳しくない話だ。
「80年代のバブルの頃、人々は新しいコンピューターやテレビを毎年買い替えていました。ただここにはアメリカのようにそうしたものをすべて取っておくのに十分な部屋がないんです。」
ルドンは一般的な状況を説明する。結果、「ほとんどが捨てられてしまう」そうだ。さらにコンピューターが直面する状況はファミコンをはじめとしたコンソールのそれとは異なるという。ファミコンなら、押入れから見つけ出しても、プラグをつないだら、だいたいは今でも動くはずだ。だがこれがPC-8801とフロッピーの山だったなら、電源を入れることができず、ごみ箱行きになるだろう。「修理には知識が必要なんです」と彼はいう。「動かなかったら、ほとんどの人がとっておかず捨ててしまいます。」
 
例えば、80年代に出回っていたPCソフトは、99パーセント壊れて捨てられたとルドンは言う。ゲーム保存協会は、この残りの1パーセントを経年劣化から救うために戦っている。
 


アメリカなら、Apple IIが同じ状況だ。イギリスならZX Spectrum。そして日本では、PC-88。
世界がIBM PC互換機とWindowsに席巻される前は、各地域で、完全に互換性のない個別のパーソナル・コンピューターが使われていた。80年代の日本には、シャープX1やFM-7といった様々なフォーマットが林立していたが、中でも主導をとっていたのはNECのPC-88だ。スクエア、エニックス、光栄、日本ファルコムといった数々の日本のゲーム会社が、このPC-88用のゲームから活動を開始している。小島秀夫のスナッチャーも最初はPC-88用ゲームだった。PC-88には任天堂スーパーマリオブラザーズの公式ライセンス版まで出ている。
 
東京のゲーム保存協会本部はこうした日本のPC全機種のゲームを保有しているのだが、中でも「日本を代表するPC」としてルドン・ジョゼフが注目するのがPC-88シリーズだ。ゲーム保存協会は、公式に発売されたPC-88用ゲームの60~70%をすでに保有しているというが、現在、見つかっていない残りのゲームを探すのは非常に困難だという。ルドンは「チャンスがあって、ものすごく頑張っても、全体の80%がマックスでしょう。もしPC-88のゲームのうち8割をのこせたら、それは映画フィルムの保存率よりたくさん残せているという事ですから」と続け、「すごく大きな数字なんです」という。たとえそうだとしても、1980年代に作られたゲームのうち20%が永遠に失われるというのは、なんともやるせない。
 

書斎

ルドン・ジョゼフと本部にある古いPCゲーム雑誌の図書室

マンションの玄関口を通り抜けると、日本のPCゲームが詰まった収納箱が何列にも並び積みあがる姿に圧倒される。箱を開ければ沢山のゲームが目に飛び込む。日本語版ウルティマVI、ピンボールゲームのムーン・ボール、銀河英雄伝説III。これはあくまで一時的な保管の状態だとルドンは説明する。もし1年前に私が来ていたら、これと同じような収納箱が300箱以上、マンションの部屋部屋に所狭しと並ぶ様子を目にしただろうという。ここにある箱の列は、それと比べればごく少数。家に溢れる300箱をこれから向かう上階に整理してアーカイブしたあとの残りなのだ。
 
ゲーム保存協会本部には13万本のゲームが保管されているが、ダブりを省いた純粋なタイトル数では8000本になる。一本のゲームを複数枚持っていることはいろいろな意味で重要で、特に、見た目では全く同じディスクでも中身のソフトウェアが別のバージョンであることがあるのだとルドンはいう。多くのダブり資料はヤフー・オークションなどでまとめ売りされているゲームを購入した際についてきたもので、よくあるのは、イースや英雄伝説など今でも人気のRPGシリーズなどの当時のヒット作だ。
 
さて、皆さんが「世界一大きなレトロゲーム・ショップ」のような、色とりどりに輝くゲーム・パッケージを綺麗に収める陳列棚が何列にも並ぶ様を想像してこの上階に上がったなら、きっとがっかりすることになるだろう。ここ2階に置かれているのは、数字が付いた同じ形の箱で、これが何列も何列も続く。
「あらゆるゲームの資料は種類ごとに分けられ、別々の部屋に保管されています」とルドンは説明する。フロッピーディスク、カセットテープ、そしてその他のゲームを記録した磁気媒体は、非常に劣化しやすくカビに弱い。そのためこれら資料は種類ごとに別々に分けて特注の中性紙保管容器に入れ、湿度と温度の注意深いモニタリングによって管理された部屋に収められる。
 

保存容器

ゲーム保存協会のフロッピーディスク保管庫

もともとゲームが入っていたパッケージは、別の大きな箱の中に入れ隣の部屋に保管されており、マニュアルは特注サイズの中性紙封筒に入れ廊下部分の金属ラックに収められている。もしゲームがもともとプラスチックケースと紙の背表紙の形で販売されたものだったら、中に入っている背表紙は抜き取られ(そのままの状態では湿気で紙がプラスチックに張り付き資料破損の原因になる)、アート・ポートフォリオ用の大きなファイルに入れて保管される。保存協会がゲームを保管する際は、まずデータベースに詳細を入力してから、分別されたパーツそれぞれをQRコードでタグ付けする。ルドンがゲームを取り出したければ(例えば写真撮影のため)、データベースのタグを辿って各資料がどこにあるか簡単に見つけることができる。
 
保管庫は、どれも保存協会が調達しうるもののなかで最高クオリティのものを使っている。カセットテープは酸化物を含まないアメリカ製特殊プラスチックケースで保管する。ルドンはこれを数千個単位で輸入した。「カセットテープやレコードの保存技術はアメリカが最も進んでいます」とルドンは言う。中性紙でできた特殊な封筒は日本製で、紙のことであれば日本が世界一だという。保管用の箱はどれも株式会社資料保存器材が作っている。この会社は日本の図書館や美術館に資料保存のさまざまな手段を提供しており、ゲーム資料を扱ったことはなかったが、保存協会の取り組みに関心を寄せパートナーとなった。彼らにとっては、今後日本の人々がゲームの歴史をアーカイブするために動き出せば大きなビジネスチャンスとなるはずだ。乗り出せば、だが。
 
ちょうどこの前日、私はゲーマーの聖地秋葉原で、ルドンが喜ぶに違いないちょっとした買い物をしたところだった。実は私は元祖ファイナル・ファンタジーを先取りするスクエアの初期コンピューターゲームのコレクションをしており、ちょうど前日、デス・トラップというPC-8801用にでた最初期のアドベンチャーゲームを見つけたところだった。ルドンに携帯で写真を見せると、「あぁ、これですか。これは第2版ですね」というではないか。なんてこった!最初の最初ではない後続の版を引き当ててしまったなんて!
「初期版のデス・トラップは見つけるのがとても難しいんです」と彼は言う。彼も15年間探して、出てきた初期版は2つだけだという。
 

アーカイブ室

保存協会のアーカイブからゲームを取り出すルドン

そう聞いて、自分のものが第2版であっても随分気が楽になった。続けて、保存協会本部1階に全巻揃えられている1980年代のPCゲーム雑誌をめくりだしてから、さらに安堵する情報を得ることができた。デス・トラップの第2版のパッケージ写真は1984年の雑誌に載っており、つまりこの第2版が初版が出たのと同年に発売されていたことが分かったのだ。つまり後年の再販ではないというわけだ。こうした周辺情報というのは、ゲームそのものよりも残すのが難しい。
 
「エミュレーターでしか遊んだことがないなら、デス・トラップについて語ることはできません。それは史実とは異なるんです」とルドンは言う。「今、雑誌を見ていますが、これはゲームの大事な要素の一つです。私たちは一つのゲームタイトルに関連するすべてのものを集めようとしています。人々はこうした物にアクセスすることで、それぞれの芸術作品を新しい視点から語ることができるようになります。」
「きちんと保存されて、一般に公開された暁には、ライターや研究者、歴史家がこういった小さな宝物を見つけて、それについて語り、新たな歴史物語を書いていってほしいと願っています。」
ゲームの歴史といえば、スペース・インベーダーが普及し、パックマンやマリオが登場して一般に広まるあたりから語られるが、実はこれは商業的に成功した商品の歴史であって、本当に影響力のあった作品の歴史ではないかもしれないのだ。「アートの歴史を語るとき、それが何万枚売れたかといったことは考えないでしょう?ネット上のいたるところに掲載され私が毎日目にするビデオゲームの歴史は、私の知っている“歴史”とは違うんです。さらにこれは当時の正しい歴史とも微妙に異なります。」
 


1992年、日本にはじめて来た時、ルドン・ジョゼフは16歳だった。父親に経済的援助を受けての一人旅だ。目的はいたってシンプル、PCエンジンのゲームソフト購入だった。
 
当時の欧米のゲームマニアのご多分に漏れず、ルドンはPC-88のことなど聞いたこともなかったが、彼はアメリカでTurboGrafx-16として発売されヨーロッパでは未発売だった日本のゲーム機PCエンジンに取りつかれていた。
「当時のフランスでは、中古ですらPCエンジンのソフトはものすごく高額だったんです。」
彼は、少しお金をためれば、PCエンジンがまだまだ人気で市場に出回っている日本に行って、秋葉原でもっと中古のゲームを買えるだろうと考えた。計算では、貯金したお金で10本から15本のPCエンジンのゲームが買えそうだった。
「でも現地に行ってみたら、私が探していたゲームはたった100円か200円で売られてたんです。」
大々的な計画変更だ。最終的に、彼は150本のゲームをスーツケースに詰めてフランスに帰国した。
 
これは日本に住む必要がある、すぐにそう決心したが簡単に実現できたわけではない。チャンスを伺いながら、すべて新品同様のコンディションで集めたゲームのコレクションを作り上げた。ルドンは若い頃、持っていたコモドール64のゲームを全て失って遊ぶことが出来なくなるという悲しい過去があった。PCエンジンでは、絶対にそんなことをさせない。
 

レトロPC

秋葉原BEEPショップのPC-8801(左)とパナソニックMSX

そんな時に、偶然の幸運に恵まれルドンは90年代後半、パリに居ながら、帰国する日本人カップルからPC-98(PC-88の上位機種)を買い受けることができた。すでに秋葉原のPCゲームショップで、自分が遊んでいるPCエンジンのゲームにはオリジナルの、真のバージョンが存在することに気が付いていた彼は、ICQという初期のインターネット・チャット・サービス上で知り合った日本人の友人からソーサリアンと、その他の初期ファルコムのRPGゲームを送ってもらい、ようやくこれらのゲームを、オリジナル・バージョンで、本物の日本のPCで、遊ぶことができたのだ。
 
がしかし、3日間遊んだところでこのPCは死んだ。
 
PC-98を起動してから72時間後に異変が起き、電源が焼け焦げた。直すことは不可能で、別の何かで置き換えることすら出来なかった。「ものすごく悲しくて、泣きました」とルドンは言う。「ここまで来るのにどんなことでもしてきたのに、まさに目の前で消え去ったんです。」
もう限界だった。
「2000年に、アパートも、猫たちも、彼女も、家族も、仕事も捨てて、最後の給料をもって日本に引っ越しました。」
 
最初は、とにかくゲームを追いかけ、日本のコンピューターゲームの世界を探り、趣味友達を作っていった。2006年、PC-88に関する本を書いたある友人が、彼の1000本に及ぶゲームコレクションを売りたいといってきた。
「彼は日本中のコンピューターショップを回って、安値でソフトを買っていました。」
その友人はそうした店の店主に大きな金額を提示しては、店に置いてあるすべてのPC-88用ゲームを丸ごと買い取って自宅に送らせていた。ルドンはその友人のコレクションを買い取ったが、まさにこれが、現在のゲーム保存協会のアーカイブのはじまりとなる。
 
コレクション買い取りと時を同じくして、ルドンは保存についても危惧しはじめる。いまやこうしたゲームたちのオーナーになったわけだが、果たして10年後はどうなっているだろう?もし何か手を打たなければ、子どものときのコモドール用ゲームと同様、なくなってしまうのではないだろうか。
 


「リマスター」という言葉は、昨今ゲーム業界でもよく使われるが、そのほとんどはこの単語の間違った用法だ。デベロッパーがプレイステーション2のゲームを引っ張り出してきて、解像度を上げ、テクスチャーを書き込み、オーケストラの生演奏でサウンドトラックを加えてプレイステーション4でリリースする。我々はこれを「リマスター」と呼んでいるが、実はこれは違う。ルドンとゲーム保存協会のメンバーらが日々行っていることこそが、語の正しい意味におけるリマスターだ。損傷し状態の酷いゲームから、その作品が作られた当時の状態を復元する緻密な作業で、新しいマスターを作る。このマスターをもとに何度でも新しくそのゲームを量産できる完璧なプリザベーション、これがリマスターだ。これさえあれば、オリジナルのフロッピーがカビて死んでも問題にならない。
 
このリマスターは、フロッピーやカセットの単純なコピーよりずっと複雑な作業である。現在では、Internet Archiveのサイトを通せば数百か、もしかすると千本以上のPC-88用ゲームがダウンロード可能で、今使っている自分のPCからエミュレーターで遊ぶことが出来る。だがこうしたソフトはコピー品であってリマスターではない。事情を知らないもののために説明するが、ゲームのソフトにはほぼ全てコピープロテクトがかかっており、先の例のように吸い出され出回っているコピー品は、ほぼ間違いなくこのプロテクトをハックし壊している。これをエミュレーターで正常に動作させるため、ほとんどがゲーム・コードを改変しているのだ。おまけにエミュレーター自体も、オリジナル機器の完璧な再現ではない。もしPC-8801の実機でそのゲームを遊びたければ、単なるコピーではだめで、元のディスクを物理的に複製しなければならない。
 

QRコード

ゲーム資料は各々QRコードで管理され、中性紙でできた特注の封筒と箱の中で別々に保管される

ディスクを物理的に読み込む機能は、コンピューターにはもともと装備されていない。フロッピーやカセットに保存されているデータというのは、単に表面に0や1が直接プリントされているわけではなく、磁束の変化でメディア内に記録されている。コンピューターについているフロッピーディスク・コントローラー(FDC)という小さなチップがこの磁気信号の変化をコンピューター側にコードとして伝えるのだが、FDCはディスク情報のすべてではなく、必要な部分だけを処理する。もしここからコピーを作れば、読み取れた部分だけが磁気信号に戻され新しいディスクに移されるので、まるでコピー機でコピーを取るような、質の低いオリジナルとは異なるものとなってしまい、リマスタリングにはならない。
 
ルドンはこの問題を解決するための研究で、ヨーロッパにあるSoftware Preservation Societyという団体を発見した。彼らも、コモドール・アミーガのゲーム保存で全く同じ問題に取り組んでいたのだ。この団体は、もともとアミーガのゲームプログラマーだった人物が、自らが作った昔のゲームを遊ぼうとして、ハッカーがコピープロテクトを壊し勝手なデモをゲームの前に追加したクラッキング版しか見つけられなかったことから立ち上げられた。「彼にとっては、自分の作品の上に落書きをされたようなものだったんです」とルドンは言う。このプログラマーは、アミーガに直接ディスクから信号を読み取らせる方法を見つけ、FDCが情報を分析する過程をスキップした。「ここから、彼は新しいマスターを作ることができました。この新しくできたマスターから、彼はオリジナルのゲームの完全な複製品を作ることができたんです。」
 
ルドンはこの団体と協力したかったが、ことはすぐには進まなかった。彼らはアミーガ以外の機種に関心がなかったのだ。その後、プロジェクトの拡大が決まり、さっそくルドンのPC-88のために動き出すが、プロジェクトに乗り出してすぐ、これがソフトウェアの更新程度では対処できない問題で、PC-88の電磁信号やその他のディスクを読むための特別なハードウェアの開発が必要だとわかった。こうした研究の成果がKryoFluxというUSBデバイスだ(誰でも購入が可能)。このデバイスはどんな磁気媒体の信号でもローレベルで読み書きができ、これを使えばオリジナルのコンピューターを持たないものでも完璧なリマスターを作成することが出来る。
 

PC展示

BEEPショップに展示される国産PCの様々なモデル

「いったんゲームをリマスターしてしまえば、実機を使って、まるでもとのフロッピーを使っているかのように、同じ動作をさせることが可能です」とルドンは言う。「今のところ私たちはエミュレーターはやっていません。保存したものは実機で動くようにしたいのです。」
ルドンはこれをクラシックカーに例えて説明する。
「クラシックカーが好きな人はエンジンを別のものに変えたいと思わないでしょう?まさに当時の人が運転していたのと同じ感覚がほしいはずです。綺麗に洗って、壊れていたらそこだけ交換して。コンピューターでも同じことができると思うんです。もしプロセッサーが壊れたとしても、十分な情報さえあればそこだけ交換する技術がきっとできます。」
 
PC-88のディスクから直に磁気信号を読み取る術が整ったとしても、これですべて解決ではない。日本のゲーム産業の独特なあり方に関わることなのだが、欧米のゲーム出版社はフロッピーのデュプリケーションにしっかりとした規格を定め、高額な専用機器を使っていた。だが日本のゲーム会社はローテクだ。
「日本ではまるで自宅でダブル・デッキを使ってカセットをダビングするようにしてゲームのデュプリケーションをしていました。完全に手作業だったんです。」
保存協会にとって問題なのは、こうした作り方ではデータを見てもゲームが製造後に改変されたかどうか見分けることができない点で、そうしたケースは頻繁にある。
 
初期のコンピューターはハードドライブがなかったので、ゲームはフロッピーから直接読み込まれ、コンピューターはそこにデータを書き込んでいた。ゲームのセーブ、ユーザーネームやハイスコア情報などは、直接ゲームのフロッピーに上書きしていた。普通ならKryoFluxで調べると、後から書き込まれたデータとオリジナルのデータは簡単に見分けることが出来る。オリジナルの電磁信号は高品質のデジタル・マスタリング・システムでしっかりと書き込まれており(出荷時の状態)、後から加えられた信号は自宅のフロッピーディスク・ドライブで書かれている(ユーザーによる上書き)から違いは瞭然だ。だが日本のゲームは、有名なゲーム会社のものでさえ、全ての情報があたかも自宅で書かれたように見え、KryoFluxではわからないのだ。ただ見ただけでは、どこがオリジナルの情報で、どこが上書きされたものか判別できない。
 
ゲームというのは単なるディスク・イメージだけではない、とルドンは繰り返す。関連資料、箱やマニュアル、マップ、カタログなどすべてがゲームの一部だ。本部1階は、壁一面、世界最大の最も充実した日本PCゲーム雑誌のコレクションが収められた巨大な本棚で埋まる資料室になっているが、ここはディスク以外のリマスタリング作業が行われる場所でもある。
 
本棚の反対側には最高水準で組まれた巨大なPCセットが置かれ、同じくらい巨大な平置き型のスキャナーが接続されている。部屋は完全な暗室にでき、光除けのシェードとキャリブレーションのついたモニターを使って完璧に取り込んだ画像の色を確認することができる。資料スキャンはすべて、横にコダックのカラー・コントロール・パッチのボードが付けられて、色調整も完璧だ。フォトショップやその他の画像修復用プログラムを使い、取り込まれた箱に緻密なデジタル修復作業を施す。印刷して組み立てれば新品の箱が作れるデジタルマスター版の出来上がりだ。
 

編集1

イースや英雄伝説を生み出した日本ファルコムが最初に出したRPGで、ゲーム保存協会の収蔵品の中でも特に歴史的重要性の高いぱのらま島。非常に数の少ないゲームで、保存状態のよくない1箱しか所蔵がない。

編集2

ルドンが画像を取り込み、元の絵の色調やディテールがきちんと読み込まれているか確認する。

編集3

続いて画像のデジタル修復を行う。すり減って消えた部分を再現していく。

編集4

このカラーチャートは当時ほとんどのゲームの箱印刷に使われていたインク会社が発行した色見本から取られている。横に添えてスキャンし発売当時の色に完璧に色合わせをすることができる。

編集5

最終的に完成したオリジナの箱のリマスター。印刷業者に送ってレプリカを作ることが可能だ。

これでも十分だが、ルドンはさらに一歩先に行く。今度は別のカラーガイドがついたボードを取り出してくる。これは1980年代当時ほとんどのゲーム・パッケージを印刷するのに業者が使っていた色見本だ、と彼は説明する。パッケージの箱の印刷に使われていたまさに同じ種類のインクと色を突き止め、今では出版業者にリマスターしたファイルを送れば、オリジナルと瓜二つの箱を作ることが可能だ。実際に一度、日本で展覧会展示用に、ドラゴンクエストの作者堀井雄二が最初に作った作品ラブマッチテニスのレプリカを頼まれて印刷したことがあったが、レプリカは素晴らしい完成度だったという。
 
さて、東京がゲーム保存協会の本部で、ルドン・ジョゼフはこの団体の理事長ではあるが、それでも彼はこのプロジェクトの牽引役のうちの一人でしかない。さらに本部はPCゲームがいっぱいに詰まっているが、保存協会ではコンソールとアーケードも同じように保存している。
 
ゲーム保存協会には新潟に支店があり、そちらは副理事長の福田卓也が管理している。ルドンはKryoFluxの詳細を日本語で書いた記事を出版した直後に福田と出会った。福田はまさに電光石火のごとく彼にメッセージを送り、ちょうど同じようなハードウェアを数か月か下手して数年かけて自作しようとしていたところだが、記事を読んだおかげで自分の時間を無駄にしなくて済んだ、と伝えてきた。心臓外科医の福田は、空き時間はハードウェアのハッカーとして過ごしており、任天堂ファミコン・ディスク・システムをはじめとする様々なゲームを保存するためのマシーンを作ってきた。
 
「これだけの技術があればすごいことができるから、団体として公式な形にしようと言ってくれたうちの一人が彼なんです。」
 

BEEPショップ

秋葉原BEEPショップの入り口

3人目の立ち上げメンバーは埼玉を拠点にPCやゲームソフトのネット販売をするBEEP社長の小林正国だ。BEEPは最近秋葉原に実店舗を出している。ここは今に蘇った日本レトロ・コンピューターの世界を自由に見ることが出来る、日本で唯一の場所だ。急な階段を下った狭い地下店舗BEEPでは、狭い通路にびっしりと20年に渡る日本の貴重な歴史的財産が詰め込まれている様子を目にすることができる。棚の一つにはPC-8801とシャープX1が実際に動作する状態で置かれ、フロッピーからゲームのデモが流されている。
別の一角には、ガラスの陳列棚が横向きにならなければ通りぬけられないような狭さで並び、信じられないようなPCのレア・ソフトが展示されている。そのほとんどが秋葉原の他の店で売られるレア・コンソール・ソフトよりはるかに高額だ。私がルドンと会う前日にデス・トラップを見つけたのもここだった。例えば日本ファルコムが最初に作ったゲーム、ギャラクティック・ウォーズ1は45万円の値札が付いている。ルドンもこのゲームを見つけるのに15年かかり、かなりの金額で一つ入手している。ギャラクティック・ウォーズは80年代に日本ファルコムのショップ内で客が注文するたび、すべてハンドメードでコピーし販売されていた。BEEPの陳列棚には他にも、その後三国志シリーズを生み出す光栄が作ったエロゲー「団地妻の誘惑」と「オランダ妻は電気ウナギの夢を見るか?」などが並んでいる。
 
さて、最後の保存協会理事はゲーム開発会社M2社長の堀井直樹だ。M2は現代のマシーンに合わせた古いゲームのエミュレーションに特化した会社で、セガエイジスコレクション、WiiU用バーチャルコンソールのゲームボーイアドバンス、任天堂Switch用聖剣伝説などを開発している。こうしてゲーム保存協会は小売販売から開発、そして愛好家のあつまりに至る、日本のゲーム文化のあらゆる側面にリンクしているのだ。他14名(2018年現在は20名)の正会員も取り組みにボランティアで協力している。
 

ゲーム棚

秋葉原BEEPショップの陳列棚に収められた高価なPCゲーム。機種ごとにわけられきちんとプラスチックで包装されている

さらにゲーム保存協会には名古屋某所に秘密の基地があり、メンバーの一人が「驚くべき世界一の日本コンソールゲームのコレクション」とルドンが呼ぶ膨大なコレクションをしまっている。この匿名希望のコレクターは2000年頃から出ているすべてのビデオゲームを買うことに決め、それ以前に発売されたコンソールゲームを時代を遡ってコレクションする傍ら、日本で発売されるあらゆるゲームを発売日当日にすべて購入しはじめた。現在もその購入は続いている。
「彼は今でも毎日ゲームを買っていますよ。リリースされたものは、あらゆる機種のものを。彼は2000年から、ずっと前から、こんな風にリアルタイムで全ゲームの収集をやっていたんですよ・・・ゲームだけじゃなく、ハードも。」
ルドンは続ける。
「彼は定年した後、残りの時間で、ゲームを遊んで過ごそうと思ってるんです。」
 


「ただし私たちはゲームコレクターではありません」とルドンは言う。ゲームのコレクションは競争だが、アーカイブはグループの協同が鍵だ。ルドンは最近アメリカにできた似たようなNPOのVideo Game History Foundationに触れる。ここを立ち上げたフランク・シファルディは私の友人だ。
「今は、私やフランクのようにほんの一握りの人がアーカイブ事業を行っています。私にとってこれはチーム作業です。みんな一緒に取り組まないと。」
 
ルドンによれば、ゲームのコレクターはだいたいがゲーム保存協会を一種の競争相手として見ているという。いったんゲームがアーカイブに入れば、それはもはや個人のコレクションとして家に置いておくことのできないものになってしまうから、コレクターらは自分たちが発見し集めたものを共有するのを嫌がることが非常に多い。「私自身、PC-88のゲームをコレクションしだした理由がこれなんです」という。「たとえ素晴らしいプロジェクトがあって、技術も揃っていて、何もかも準備が出来ていても、コレクターに参加を促すのはとても難しいということを知りました。」
 
ゲーム保存協会はその成果を広く世界と共有したいと考えている。だが、アメリカと比べてシビアな日本の厳しい著作権法のため、たとえNPOであっても、著作権で保護された作品のコピーを外に出すことは一切認められない。日本の法律が保存協会の取り組みにとって味方にはならない一方で、法律という点ではアメリカのフランク・シファルディが有利だ。根本的な状況が変わらない限り、保存協会では著作権の保護期間が切れるまでは情報を公開せずにゲームの保存を進めるしかない。だいたい50年かそこらだろうか。
 

ゲームマニュアル

ゲームのマニュアルを温度管理された保管室に注意深く戻すルドン

著作権が切れるまでに、国の権力が日本のビデオゲームを救うために動くことが何よりも重要だ。困難な戦いではあったが、保存協会はこのたびはじめて、政府からの助成金を受けたと言う。2017年の10月から、公開できる公式なPC-88 用ソフトカタログ制作にかかる1200時間分の労働に対する助成がおりる。カタログは来年公開の予定だ。「助成金がなければできなかったことです」とルドンは言う。「手始めとして悪くないと思います。良い方向に向かっていますよ。」
 
とはいえ、資金繰りはいつでもルドンにとって悩ましい問題だ。
 
ゲーム保存協会の取り組みはここ数年あちこちのメディアで良い形で取り上げられている。特筆すべきは日本唯一の公共放送局が海外向けに作っているチャンネル、NHKが制作した30分間のドキュメンタリーだ。よくできたドキュメンタリーで、日本中をめぐり保存協会の他のメンバーらと活動するルドンに密着、洞窟物語のデザイナーが作った印象的なドットアートのアニメーションも挿入されている。このドキュメンタリー放映前は、ボランティアスタッフ以外で、年2000円の経済的援助をする「サポーター会員」は20人程度しかいなかった。ドキュメンタリーが出てからは、サポーター会員の数が一気に200名に増えた。
 
だがルドンによれば、まだまだ数が足りないという。ゲーム保存協会には有給職員はいない。ルドンによれば、保存協会で得た資金の90パーセントは直接、活動費として使われており、管理費はわずか10パーセントほどしかない。役員メンバーたちも、こうした個人的活動を支える十分な経済的な余裕がある様子だ。ルドンは日本の某自動車会社で働くエンジニアで、福田は心臓外科医。堀井と小林は二人とも会社経営者だ。ルドンの計算では、今までに使われた彼らの個人的出費のすべてを合計すると1億円に上るという。そのうちの半分は、競争的で非協力的なコレクター市場によって高騰したPCゲームの購入に使われているという。残りは家賃や、備品、中性紙保管箱などのあらゆるものに使われている。
 
保存協会のメンバーたちはしばしば個人の貯金を個人的なプロジェクトのために投資しているが、彼らはたとえその資金が自分の銀行口座にきちんと入っていたとしても、それを団体のものとして計上することができない。「私たちは物理的アーカイブがあります。データベースもあり、知識もある。ものがあって、資料も、雑誌も、何でもあります。ゲームやフロッピー、雑誌など、それぞれの資料をどうやって保存すればよいのかやり方もわかっている。」
だが日本のNPOには、活動費の大部分を一般からの寄付で賄わねばならないという国の規定があるのだそうだ(脱税目的の悪用を避けるため)。だから理事をやっているメンバーは、アメリカでよくやるように、彼らのポケットマネーをNPOにそのまま投入することができないのだ。
 
他にも、ルドンはこれまでに出た好感度の高いメディア記事や美しいドキュメンタリーが、人々に間違った印象を与えているとも感じている。つまり、全て順調で完璧に保存されてるという印象だ。実際のところ、ゲームを保存するための資金は足りていないのだ。
 


本部3階の1室は、古い電気機器の修理を行うための別の作業室になっている。卓上には使いやすいよう整然と工具が収められ、塵ひとつない完璧な状態だ。様々なサイズのフロッピーディスク・ドライブが重ねられ、EPロム消去用のマシーンや、半田ごて、カセットテープのダブル・デッキ、あらゆる電子部品に対応した洗浄用器材がずらっと並んでいる。
 
そしてその中心の目立つ場所に、ルドンが愛してやまないPCエンジンが置かれていた。
 
保存協会本部はコンピューターゲームを専門にしているが、ルドンはPCエンジンを放り出すことができなかったのだ。PCエンジンは、まさに時代を先取りしたマシーンだ。1987年に日本で発売され、翌1988年にはゲーム機としてはじめてCDロムが搭載される。これは一般ユーザーが自分のPCにCDロム実装を考え付くよりもはるかに前の出来事だ。CDロム版で出された最初のPCエンジンタイトルは2つで、ストリート・ファイターの移植版として知られるファイティング・ストリート、そしてNo-Ri-Koというデートゲームだ。これらはCDという形で発売された世界最初のゲームである。
 
実はPCエンジンのCDロムは発売時期が早かったために、現代の一般的なCDの規格からは外れている。「基本的にはオーディオCDなんです。データがオーディオとして録音されています。」
一般的なCDは頭にTOC(テーブル・オブ・コンテンツ)というトラック情報を記録した部分が存在するが、PCエンジンのCDロムはそれを使わず、再生しながらドライブ側にデータの位置を知らせる「サブコード」のみ使用する。「この仕組みのせいで、例えば遊んでる間にゲーム機に衝撃を与えると、音だけが消えたりするんです。」
CDを読み込むレーザーに振動を与えると、レーザーが読んでいる列から外れ、次にどこに戻ればいいのかわからなくなるのだ。「ストリーミングみたいなもので、頭出しが出来ないんですよ。いったん読んでるストリームから外れたら、全部なくなってしまうんです。」
 

ポートフォリオ

アート作品用のポートフォリオに保管されるゲームの背表紙

PC-88のゲーム同様、PCエンジンのほとんどのCDロムはファンたちが自宅の器材でダンプしており、エミュレーターで遊ぶことが出来る。だがそれはリマスターではない。「ゲーム保存協会には、全ての情報を完璧に読み込み、再現するための技術があります」とルドンは言う。次なる彼らの目標はPCエンジンCDロムの完全なレプリカを作り、実機で元のゲームが動いていたのと全く同じように動作させることだ。
 
手遅れになる前に。
 
フロッピーとともに生まれ育った人ならわかると思うが、こうした磁気メディアは非常に脆い。所詮は磁石だ。例えば私が買ったデス・トラップも、冷蔵庫に近づけすぎただけで一発で消えてしまう。そんなフロッピーに比べればCDは安全に見える。私が持っているオリジナルのパッケージに入ったCDは、プレスされた時と変わらない輝きを保っているように見える。すぐ読み込みできなくなることなんてあるのだろうか?
 
「自分のCDは大丈夫だと思っているでしょう?でもそれはありえないことなんです。」
ルドンが言うには、あらゆるCDはプレスされた瞬間から、単純に製造過程の問題で、いくつかのエラーが含まれているらしい。CDは20パーセントまでの物理的エラーなら情報を読み取れるよう、初めからある種のゆとりをもって作られている。「ただし20パーセントを超えると、エラーを修復するアルゴリズムが動作しなくなり、全ての情報読み込みをやめてしまいます。」
 
現代一般的なCD製造の規格では、ラインから出荷された状態で含まれるエラーは1パーセント以下だ、と彼は言う。だがPCエンジンのディスクが作られた当時、こうした規格は存在しなかった。ルドンが言うには、新しく作られたPCエンジンのディスクは最初の段階で約5パーセントのエラーを含む。そして日を追うごとにこのエラーの数は増していく。数年前に保存協会がはじめてPCエンジンのCDのローレベル・アナライズをはじめた時、中古ディスクのエラー数は6から7パーセントだった。
 
現在、彼らがその同じディスクをチェックすれば、エラー数は9から10パーセントに上がっているという。CDロムは死にかけている。それも思ったより早いスピードで。我々が生きているうちに、ある日突然、PCエンジンのディスクが読み込み不可能になる日がやってくるのだ。もしそうなっても、全てをリマスターできたらとルドンは願う。きっと大勢のコレクターたちが集めたお宝が死んだことを知って涙を流すだろうが、きちんとした保存さえできていれば、そんなことは問題にならないのだ。
 
「まだ時間があります」彼は言う。「でも、早く保存に取り掛からねばなりません。」
 
補足:元の記事に掲載された、ゲーム保存協会が使用している保存容器を製造する社名に誤りがありました。また、コンソールゲームをコレクションする場所の地名も同じく誤表記がありましたので、訂正いたしました。追加して、ルドン・ジョゼフの毛髪に関して「剃っている」との記載がございますが、彼の毛髪は病気による脱毛が原因です。度重なる誤記をお詫びいたします。
 
ゲーム保存協会からの一言:本文中、等々力が観光客用の町ではないという記述がございますが、ゲーム保存協会一同、この発言は等々力の魅力を知らないが故の過小評価である点、強く遺憾の念を表明いたします。等々力には駅最寄り、ゲーム保存協会とは反対側に少し歩きますとパワースポットとして、また春の花見や夏の避暑先として人気の等々力渓谷がございます。理事長ルドンがお勧めする日本一のフランス菓子店「オー・ボン・ヴュー・タン」や小粋なフレンチ・レストランが軒を連ねるオシャレな地区もございます。等々力商店街イチ押しマスコット、とどロッキーが皆さまをお待ちしております。どうぞ皆様、等々力に遊びにお越しください。
 
著者:クリス・コーラー
翻訳:ルドン・絢子