コピーとプロテクト


はじめに

PC88を語る上でコピー問題を外すことは出来ない。ここではコピーの歴史について書いてみたいと思う。


PC-8001の時代

パソコンソフトのコピーはいつから始まったのだろうか。PC-8001の時代は、市販のソフト自体がほとんどなく、もっぱら雑誌「I/O」や「アスキー」からプログラムを入力して遊んでいた。雑誌のプログラムはクオリティが高く、遊べるソフトが多かったのだ。このころは2Dドライブが30万(フロッピーディスクは1箱1万円以上)もしていた時代なので、ソフトの供給はもっぱらカセットテープであった。
このころは、そのようなソフトを入力したマニアたちがパソコンショップなどに集い、手持ちのソフトのコピー・交換会のようなものが頻繁に行われていた。マニアたちは自分の入力したソフトをカセットテープに録音し、それを持ち寄っていたのである。今のようなダブルデッキのカセットがなかったので、各自5~10分かけてプログラムをロードし、再度自分のテープにセーブしなおすという非常に原始的な方法でソフトのコピーを行っていた。


PC8801の登場

PC8801が登場した1982年あたりから、徐々にソフトハウスが増えてきた。このころのソフトは、市販とはいえほとんど雑誌に掲載されているゲームとの差がなく、下手をすると雑誌のゲームの方が出来がいいということも珍しくはなかった。ユーザーはゲームを購入したが、PC8001のころからのコピー文化が根付いており、ユーザーは平気で市販プログラムをコピー(ダビングや前述のリセーブなどで)していた。ソフトハウスの売り上げは半減してしまうため、なんとか違法コピーを阻止する手段として、「プロテクト」が出現したのである。


プロテクトの登場

実際に、コンピュータプログラムにプロテクトはいつ頃からかけられたのであろうか。国産パソコンに関していえば、1980年代に入ってから、解析を防止またはコピーを防止するために簡単になプロテクトがかけられるソフトが登場した。初めのプロテクトは、アンリスト(pオプション *1 でリストを見れなくする方法)やパスワードといった、プロテクトというよりは、暗号化という方法で、通常の方法ではプログラムの中身をみることができないようにするのが目的であった。これは、誰でも苦心して作ったプログラムを簡単に盗まれることを防止するという、自分たちの権益を守る防衛手段であった。
1982年あたりになると、かなりの市販のカセットゲームにプロテクトがかけられるようになった。一番簡単なカセットのプロテクトは、モニタのLOADコマンドによるプログラムの読み込みをできなくするというものがメインで、そのためにメーカー提供のLOADコマンドでは読み込めない独自のフォーマットを作成し、それ用の独自ローダーを用意してプロテクトとしていた。

*1 Disk-BASICでのSAVE "file" ,P で保存し、loadしてもlistが取れないようにするオプション。


レンタルソフト屋の登場

レンタル屋というのをご存知だろうか?これはパソコンソフトをソフトの定価の1割ほどでレンタル(だいたい一泊二日、ビデオレンタルと同じようもの)していたお店である。ユーザーはこのレンタル屋でソフトを借りて、ソフトをコピーして返すのである。
1982年4月に、日本ではじめてのレンタルソフト店がオープンした。貸レコード店を経営していたそのショップの社長が、商品管理にコンピュータを導入しようと思い立ったが、その高価なのに驚いたのがきっかけであったという。はじめたときは80万円の資金であったが、翌年にはこの店は、6店舗をかかえる繁盛ぶりだった。
ゲームの発売数も増えレンタルソフト店が登場すると、いよいよパソコンソフト=コピーという図式が濃くなり、防衛手段として市販の7割から8割はプロテクトがかけられるようになっていった。当初、カセットテープ版のソフトが多い時期には、独自ローダーを使ったり、読んだ後にオートスタートさせてセーブに移る動作を防止したり、あるいはセーブの操作そのものを妨害するなどの方法でプロテクトがかけられていた。

しかし、テープ版のソフトの内容をまるまる本体のG-RAM内に読み込んで、そのままセーブするといったコピーツールが出現した(メディアポリス社の「COPY BOY」、ソピアの「シークレットコピー」など)。独自のローダーを使ったプロテクトも、ROM内のサブルーチンを利用する原始的なものに過ぎなかったので、1バイト単位でデータを処理されると打つ手がなかったのである。こうして独自フォーマット系のプロテクトは、いとも簡単に崩れていった(画面はコピーソフト「BABY SHARK」)。


カセットの究極プロテクト


独自フォーマットのプロテクトが崩されると、直接カセットI/F用のICをコントロールして、1ビット単位で処理を行うようなプロテクトが登場した。ROM内サブルーチンでは、8ビット単位で処理しているので、これに対抗するために6ビットで処理をしたり、900ボー、1500ボーといった特殊なボーレートでロードしたりする。そうすれば、ROM内サブルーチンでは読み込むことができないので、一応コピーは不可能ということになる。しかし、このころからダブルデッキなるラジカセが電気屋さんに出現するようになった。どんな特殊なフォーマットを施したプロテクトでも、この方法を使うと簡単にコピーされてしまう。しかし、メーカー側もセーブの音質を下げて、次にダビングすると劣化してうまく読み込めないようにしたりした。音楽テープとは違い1ビットの違いも許されないコンピュータデータのダビングは成功率が100%とはいかなかったのだ。ところが、サンヨー電機から発売されたMR-11DR(写真)というデータレコーダは、不思議なことにダビングしたテープからでもおもしろいように読み取ることができ、コピーユーザーの間ではこのデータレコーダは確実に広まっていった。


ディスク版ソフトの普及

1983年に入ると、フロッピーディスクが注目を浴びるようになった。特にPC8801mk2には、フロッピーディスクドライブを標準でつけたモデルが登場し、さらにフロッピーディスクドライブ自体の値段も10万円前後まで値下がりした。2D1箱あたりの値段も5000円ぐらいと安くなった。こうしてカセットに変わるメディアとしてフロッピーディスクが台頭した。フロッピーディスク版のゲームが増えてくると、それに伴ってディスクにプロテクトがかけられるようになった。

このころはまだDOSというものが確立しておらず、各社はPC8801に付属しているDISK-BASICをOSとして使用し、その上でゲームを走らせていた。しかし、このOSには弱点があり、付属のバックアップユーティリティを使用すると簡単にコピーができてしまうのである。そこで初期のゲームは、DISK-BASICで絶対に読み込みができない不良セクタを作成し、バックアップユーティリティに対処したのである。
最も簡単なプロテクトは、1つのセクタだけを壊すとか、あるいはヘッドが通常アクセスしないような位置に何か書いてチェックさせるという方法である。スタークラフトのアドベンチャーゲームなどは、アンフォーマットトラックを作り、バックアップできないようにするという原始的なプロテクトがかけられていた。

ディスク版のコピーツールが出現したのもこのころである。初期のものでは、ウエストサイドの「マジックコピー」(写真)、マイコンシティの「ベビーメーカー」である。これらのコピーツールはオートモードという自動バックアップモードが搭載されており、このモードを使うと、初期の簡単なプロテクトしかかかっていないソフトはコピーすることが簡単にできたのである。しかし、メーカーも当然オートモードに対抗すべく、このモードでとれないようなプロテクトを作った。しかし、マジックコピーには、「ファイラー」という機能があり、これは各ゲームに対応したプロテクトキラーともいうべきもので、ディスクをコピーする際にディスクの内部を書き換えたりするものである。だから、どんなに優秀なプロテクトをかけてところで、プロテクトをチェックする「チェッカー」と呼ばれるプログラムを、ファイラーで書きつぶしてしまえば、いとも簡単にプロテクトがはずされてしまうのであった。



コピーメーカーVSソフトハウス

84年以降になると、コピーツールはさらに進化をとげ、「ハンドピック」「ラッツ&スター」なる強力コピーツールが出現しだした。このころから、プロテクトとコピーツールの泥試合が始まった。
プロテクトをかける側は、販売されているすべてのコピーツールを入手し、中身を解析してコピーツールの弱点を見出すことから始めた。セクタの長さを変えたり、アンフォーマットしたりしても、ダメなことは分かっていた。そこで開発されたのが、これらのコピーツールではコピーすることのできない「マルチセクタフォーマット」であった。これは1トラック内に長さの違うセクタを複数個設定するものである。また、PC-8801のFDCは、765Aというユーザーの使い勝手をよくしたものを使っていたため、どんなにプロテクトを工夫してもほとんど破ることができた。 そのため富士通製のLSI(MB8877A,MB8876)を使った他社のパソコンでプロテクトをかけ、それをPC-8801の765Aで読ませるようにしたものはかなりきついプロテクトを実現することができた。有名な話で、PCのプロテクトには、FMを使い、FMのプロテクトにはPCをつかっていたようである。またちょっと変わった方法で、ビクター音楽産業の「新竹取物語」にみられる、回転数のプロテクトがある。これは、ディスクドライブの回転数を落とし、通常の速度では書けないフォーマットを作り出すというものである。256バイトのセクタが1トラックに20存在するという特徴をもっていた。

※MB8876/MB8877Aは富士通製。中身はウェスタンデジタル(今やHDメーカですね)のFD1791/FD1793でウェスタンデジタルよりライセンスを受けてセカンドソースとして販売していた。国内ではFD1793よりMB8877Aが入手しやすく、FM/X1を中心に普及した。MSXの一部でも採用実績あり。

しかし、コピーメーカーも黙ってはいない。これらのマルチセクタフォーマットに対応したバージョンを発売したのである。また、回転数のプロテクトには、紙を挟むなどして自分のディスクドライブの回転速度を遅くするように調整してコピーするなどという方法が取られ、あっけなく陥落してしまった(ただ、けっこう調整が難しい)。

余談だが、アメリカのAppleでは、プロテクトといえば国産よりも歴史は古く、プロテクトもきつかったことで有名である。国産のパソコンはほとんどFDC(フロッピーディスクコントローラーというLSI)を使ってディスクを動かしているが、Appleはそれを使わずにすべてCPUを介してソフト的に命令を与えてディスクを動かしていた。そのためトラックを次に進める、あるいはセクタがどこから始まるなどの判断をソフトが受け持っていたのである。そこでそのパターンを変えることにより、セクタの始まりをわからなくしたりして、ほとんどコピー不可能というかなりりきびしいプロテクトをかけることができた。


物理的なプロテクト

どんなにソフトウェアによるプロテクトをかけても、強力なコピーツールを使用すれば、ほとんどコピー可能であり、できないものも、ディスクアナライザを駆使すれば解決できた。そこで登場したのが物理的にプロテクトをかけてしまうというものである。まず1984年代に有名なもので、PROLOKというものがある。これはアメリカのボルト社が開発した画期的といえるプロテクトシステムで、1984年の5月にソフト工学研究所によって日本に紹介された。PROLOKは、フロッピーディスクのある個所にレーザー光線によって傷をつけ(キズは直径約1mm弱の小さなものである)、そのキズに金属の微粒子を吹き付けたものである。このキズの付き方は無限にあり、個々のディスクによって違う。これによって一つ一つのディスクに暗号をかけるというプロテクトである。このPROLOKディスクのキズをコピーしたものに再現しようとするには、キズをつけるのと同じ装置を持たなければならず、こんな器材を買う人間はいない(高額なため)ことを考えるとこのプロテクトシステムは画期的であった。
しかし、このPROLOKのプロテクトは全く普及しなかった。いや、少なくとも調査した結果ではこのプロテクトを使った市販ゲームは確認できなかった。答えは簡単。コストが高くついた上に、絶対に破れないプロテクトではなかったためである。コストについては、一枚につき3500円前後の価格がかかり、高額なビジネスソフトならいざ知らず、ゲームソフトにはとても適用できなかった。また、そのディスク内にあるPROLOK.EXE(傷の情報などが書いているファイル)を解析することによって、多少時間はかかるがプロテクトをはずすことは不可能ではなかった。
他にハード的にプロテクトを施すものとして、ゲームソフトではあまり見られなかったが、拡張スロットにボードを差すタイプのプロテクトがある。これはパーソナルメディアの「ビーナス」やメガソフトの「EM3+」などに見られた。この手のボードタイプのプロテクトは、同じボードをデッドコピーしたり(これはROMライターやPALライターを使うので、普通の人には難しい)、ソフト自体のチェッカをつぶしてしまう方法などがあり、やはり絶対ではなかった。ゲームでは、工画堂の「サイキックウォー」に見られるディスクに直接穴をあけてしまうプロテクトや、ボーステックの「トップルジップ」のジョイスティック端子にハード(Jモジュール)をつけてプロテクトするものがあったが、この手のプロテクトは、オリジナルか判定するチェッカ部分がすぐに発見されると簡単に解除されてしまうという欠点から、あっさりとコピーされてしまった。


ビットマシーンの登場とアインシュタイン

1985年になると、コピーツールとの戦いに終止符を打つべく画期的な製品が出現した。この機械は、1トラックの内容を1ビット単位で読み込んで複製できる、すなわちどんなフォーマットでも再現できてしまうというもので、通称「ビットマシーン」(ビットイメージデュプリケータ)と呼ばれる画期的な機械だった(この機械が出現するまでは、前述のFM7やX1といった他のマシンを使ってプロテクトをかけていたりした)。しかしビットマシーンは、一台あたり2~3千万という非常に高価なマシンだったので、大きなソフトハウス以外にはなかなか手が出るものではなかった。

ビットマシンはデュプリ業者が持っていたため、ソフトメーカはプロテクトのかかっていないマスタディスクをディプリ依頼するだけでよかった。デュプリにも松・竹・梅があり、松はお勧めプロテクトをかけた後、さらにチェックルーチンまでデュプリ業者が付け加えてくれたらしい。さらにはメディアの手配、マニュアル・パッケージの量産も一手に引き受け、ソフトバンク等の流通筋と組んでソフト販売のビジネスモデルを作り上げた。代表的なデュプリ会社は「東京電化」「ミリオン」などが有名。

しかし、コピー側もこれに負けていない。ビットマシーンの出現で、これに対応する天下無敵のコピーツールが出現した。その名は「アインシュタイン」。「アインシュタイン」は、専用のボードをもつコピーツールで、FDドライブとそれをコントロールするFDCとの間に特殊な回路をかまして、読み込んだデータをそのままコピーしてしまう鬼のようなツールである。ただし、定価が51300円と高額であった。「アインシュタイン」は当時の95%以上のプロテクトを再現してしまう力があった。
ところが初期のアインシュタインには弱点があり、ビットマシーンはその弱点をついたプロテクトを開発。しかし、アインシュタインもこれに対応するための補足ツールを開発・・と再度泥試合がはじまったのである。この戦いの中で、「コロコロフォーマット」「OZAWAチェッカー」「Taniguchiチェッカー」などのプロテクトが開発された。(写真はアイシュタイン98VX)
余談だが、「アインシュタイン」のデットコピー品まで登場した。その名は「マシンヘッド」。本家よりも安い値段で売りまくり、会社ごとドロンしてしまったそうである。



そしてファイラー主流に

アインシュタイン登場後は、「アイン殺し」を意図したプロテクトが当然となり、88のディスクドライブで再現するのはまず不可能となる。
そこでコピーツール本体をロードしたあとに、コピーしたい製品の専用プログラム(ファイラーとかパラメーターと呼ばれるもの)をロードするものが主流となっていった。そしてそのファイラーをすばやく確実に提供できる優秀な人材を抱えたメーカーだけが生き残っていくようになった。優秀な人材の確保はなかなか熾烈で、どうしても人材を確保できないメーカーは、他のメーカーのファイラーを盗作したりしたらしい。真偽は定かではないが「MID NIGHT MAGIC」は「THE FILE MASTER」のファイラーをパクッていて、書きかえる場所が同じだったりしたという話だ。「THE FILE MASTER」のサポートを引き継いだMacoto.氏、「COPY AID88」の本体とファイラーの両方を担当したHeckle.氏の2人はつとに有名。日本ファルコム等、後チェックを巧妙に仕掛けたソフトを数日ですべて破ってしまうのだから凄い。最終的には「THE FILE MASTER」と「COPY AID」(写真)という2大ツールが88の終盤まで生き残っていた。



余談・プロテクトの種類

ディスクドライブが登場してから、さまざまなプロテクトが登場した。ここでは、そのプロテクトの一部を紹介する(ただし、ちょっと難しい)。

アンフォーマット
ある1つのトラックをフォーマットしないでおくという最も原始的なプロテクト。これをチェックするためのルーチン(チェッカー)は、IDが存在しないことをチェックしている。

異常ID
IDの値を正常なものとは変えておくプロテクト。たとえば「CHRN」のHの値が通常とは異なるものだったりする。

異常N
IDのNの値を変えるプロテクト。そのIDのデータを読み込んだとき、FDCはセクター長をIDのNの値によって判断するので、正常なNの値と異なっていた場合、本来CRCでない部分をCRCと判断してしまい、CRCエラーとなる。

オーバーセクター/アンダーセクター
セクター数が正常な値と違っているプロテクト。チェッカーではリードIDを行ってIDの数が違うのを確認する、余計なセクターに重要なデータを入れておくなどがある。

書きこみのチェック
データを書きこんだ後のセクターでは、その書きこんだデータの最初と最後は必ずずれがでてくる。そのずれが存在する、または存在しないことをチェックするプロテクト。

セクターの順番を変えるN
セクターの並び方を変えるプロテクト。チェック方法はリードIDを行ってセクターがどう並んでいるのかチェックする。一見付属のバックアップでは正常にコピーできているようにみえる。

セクター長を変える
普通のフォーマットでは1トラック当たりN=1(256バイト)のセクターが16個並んでいるが、これをN=2やN=3(1024バイト)のセクターでフォーマットするというもの。これはプロテクトというより、データの詰め込みに使用されるもので、N=1の場合256*16=4096バイトなのに対し、N=3ならば、1024*5=5120バイト入るからである。

オーバートラック
5インチ2Dのドライブでは普通に使用しているトラックが0~79の80本だが、実はその内側も使用することが可能で、エンドトラックを83までにしてコピーすると簡単にとれるプロテクト。

単密度を使う
普通のディスクでは倍密度でフォーマットされているが、これを単密度で行うもの。当然倍密度の半分のデータしか入らないので、容量のムダ遣いになる。

ミックスレングス
1トラック中に異なるセクター長のセクターが混在しているもの。このプロテクトをコピーするのは、μPD765(88のFDC)では少し困難。

同一ID
1トラック中に同一IDが2つ以上あるプロテクト。

オーバーインデックス(トップシフト、2周フォーマット)
インデックスを越えてフォーマットしたプロテクト。これは大きく分けて、トップシフトと2周フォーマットがある。トップシフトは、本来書けるセクター数より1セクターだけ多いセクターでフォーマットしてやることによって、1セクター目のIDを消してしまうフォーマット。それによってフォーマット時の2セクター目が1セクター目となる。また、2周フォーマットは、1周でフォーマットを終わらずに2周のフォーマットを行うというもの。これはμPD765のみに適用されるプロテクトであって、MB8877は好きな位置にIDを作れるのであまり意味がない。

データCRCエラー
データを読んだときにCRCエラーになるというプロテクト。コピー方法はμPD765の場合、FDCリセットがかけなれない場合は一部を除いて不可能。FDCリセットがかけられる場合はCRCを書きこんでいる途中にリセットをかけてCRCの書きこみを途中で打ち切る。

時分秒プロテクト
MB8877ではフォーマット時にF5~F7のデータが書きこめない(コントロールコードに使用)ことを利用したプロテクト。コピー方法としては、CRC計算を利用して書くという方法もあるが、これだと完全にはデータを再現できないので、リードIDされたらバレてしまう。非常に微妙なタイミングが必要になるが、ドライブチェンジを使用してデータ化する。時分秒プロテクトはMB8877A向けのプロテクトで、765A向けとしては非常に弱い。ただこれを併用することでFM/X1でのコピーに対して強力に作用する。これをMB8877Aで再現するためのドライブチェンジを用いた「ビット落とし」技法はNEWTYPE X1のREDMAXモードで初めて明らかにされ、当時のX1向けプロテクトを軒並みノックアウトした。NEWTYPE X1はアイン後壊滅的となったオートコピーツール界でキラリと光るツール。

ID CRCエラー
μPD765に有効なプロテクトで、μPD765ではID CRCエラーのIDはリードIDしても出てこないことを利用してある。

IDオンリー
IDのみを非常にたくさんならべたプロテクト。チェックするには全部のIDをリードしてみてすべて揃っているかを見る。これはμPD765でコピーするのはほとんど不可能。

回転数プロテクト
ドライブの回転数を落として書きこむことによって、通常では書きこめない量のデータを書きこんでしまおうというもの(N=1で20セクター)。コピー方法はなんらかの方法でディスクの回転数を落としてやるか、またはGAP等を削って詰めこめばOK。

単倍フォーマット
1トラック中に単密と倍密が混在しているプロテクト。

不安定プロテクト
フォーマット内の一部に通常のFDCでは再現できない不安定なデータを用意しておき、それをFDCを通して読ませたときに毎回違ったデータとして読み込まれることをチェックするプロテクト。

ビットずれチェックプロテクト
通常FDCでフォーマットやライトデータを行うと、データの書き始めと書き終わりにビットずれが生じてしまうが、これを逆手にとったプロテクト。それはFDC以外のハードを使って通常あるはずのない場所に書継ぎ点を作ったり、通常あってあたりまえの場所の書継ぎ点をなくしてしまったりして、その部分をリードダイアグノスティックやリードデータを使って、ずれの様子を調べることによってマスターディスクか判断する。

ウェーブプロテクト
ディスクに書き込む生ビットデータ(1 か0)のホールド時間を一部エリアで変えることで、セクタサイズは同じでも読み込み時間が通常と違うセクタが出てくる。その読み出し時間の差を調べて一定以上の差があれば合格とする。もちろんアインシュタインでは再現できない。


レンタルソフト屋について

レンタル屋の第1号店はソフマップ高田馬場店で、これが1982年の5月に登場した。その後瞬く間にレンタルショップ店は増え続け、1984年の冬には全国で約200店舗にまで達してしまった。これらの全国のレンタルショップにソフトハウスの売り上げは次々に食われてしまい、つぶれるソフトハウスも増えていった。ちなみにソフマップの開業当時は、5坪の店で一ヶ月の売り上げが500万円だったそうである。
一方、この当時のレンタルショップ店はそんなことはお構いなしである。あるレンタルショップの経営者は「ソフトメーカーがつぶれるのは、粗悪な商品を販売し、ユーザーにソッポを向かれるからで、ボクたちのしったこっちゃない。」などと発言。さらにどのみちレンタルされるなら、直接レンタル屋に売ってしまえ、という流通機構無視のソフトハウスや卸問屋まで出現し、このあおりを食らって倒産するマイコンショップも数多く、1984年~1985年代は、ソフトハウス、ショップにとって受難の時代を迎えたのである。

ところが、レンタル屋をさらに逆手にとって商売を始めた人間たちもいた。一つはレンタル屋が喉から手が出そうな自作コピープログラムを売りに来るハイレベルのマニアである。彼らはレンタル店にコピープログラムを1本10万から20万円で売り、その正体は各メーカーのSEだったり、小遣い稼ぎの学生だったりしたそうである。また、一部のメーカーも実にうまくレンタルソフト店を利用して商売をしていた。これらのメーカーは、コピーツールをマニアに販売する他、レンタル店に流したり、レンタル店の依頼を受けて特注のコピーツールを制作していた。この当時、全国にコピーツールを制作しているメーカーは50社ほどあり、大手では関東電子、二宮無線、また「BABY MAKER」を発売したアイオーライターズ、兵庫のウエストサイド、新宿のメビウスなどがあった。特に「マジックコピー」を制作したウエストサイドは、「ファイラー」と呼ばれる個々のソフトに対するプログラムオプションを大量に載せて販売していた。(写真は当時のレンタル屋の会員証である。簡単な印刷にパウチをしていた。どこもほとんどこの形態である)


さて、もう一つはレンタル店やショップにたむろして、プロテクトをひたすら破る種の人間とそれを利用する悪質ショップである。これらの人間は、プログラムを組む力はそれほどないが、ただプロテクトを破ることだけにうつつをぬかすPC-8801ユーザーの高校生に多かった。彼らはレンタル店にたむろしているが、良心的な店から追放されると、悪質な店内コピー業者に所を変え、悪徳経営者のためにプロテクトをはずしたりすることで小遣い稼ぎをした。あくまでも噂であるが、大阪のマイコンショップLでは、そういった連中がたむろし、彼らから買い上げたコピー品を店内でお客に自由にコピーさせていたということである。また、北九州のJ店ではレンタルショップと称して、店内のソフトはすべてコピー。しかも九州地区トップの電器店であるB電気がハードを売るためにJ店提供のコピー品をパソコンにくっつけて販売していた。ここまでくるともはや節操はなく、大阪日本橋のレンタルショップ4店では、客同士のソフトの回しあいが当然のように行われ、店もコピー品を貸し付ける。また店にはマニュアルのコピーが山のように積まれ、まともなレンタル店から借りてきたソフトをコピーさせていた。さらにレンタル店以外の店でも試用版と称してコピー品を安値で送りつける。もし気に入ればきちんとした値段を払い正規品を購入してもらうが、気に入らなければ、そのままコピーを使って構わないという商売まで行われていた。このように、レンタル屋がコピー品を販売し、さらに普通のショップまでその死角をついて、好き勝手な商売をするというほとんど無法地帯的な商売がこの当時行われていたのである。

以下は全国の主立ったレンタルソフト店である。


レンタルソフト店名主な場所
マックスロード秋葉原など
ソフィックス渋谷・蒲田など
ソフマップ高田馬場、渋谷
ソフトキッド蒲田
メディアポリス渋谷
ソフトピア池袋
アイツー秋葉原、大阪、草津など
BIGVAN秋葉原、横浜など
FOR NEXT登戸、町田
TRY SOFT町田
トーマス調布
LABIT津田沼
プロテックス中目黒
パソコンのなにわ大阪
ソフトパル大阪
ソフトマン大阪
VISCO広島
エースワン福岡
スペック福岡
アペックス福岡
ぱそこん倶楽部大津
IDSOFT金沢
ソフトランド金沢
ソフトハウス大須

もろちんこれ以外にも全国には無数のレンタルソフト屋があった。ソフトウェアのレンタル料金は定価の約1割で1日借りられた。このときすでに多くのバックアップツールが存在したことから、借りる人間の99%は、ソフトをバックアップツールでコピーして返却していた。この事態をソフトウェアメーカーは由々しき問題と考え、レンタルショップが開業して早1年でメーカーからの訴えが2件も出されている。その訴えとは、1983年5月24日、株式会社エニックスが、貸ソフト業 有限会社ソフマップに対して、著作権に基づく営業差し止めを求める仮処分を申請したものと、同6月13日、ソフトウェアメーカー8社が、有限会社ソフマップに対し、著作権法違反で仮処分申請をしたものである。この訴えに関してメーカー各社は「パソコンソフトは芸術である。当然著作権が認められるべきであり、それが保護されないという馬鹿な話はない。そんなことでは新たなソフトをつくる気力がなくなる。そして長期的に見れば、良いソフトを作る意欲がなくなり、結局はユーザーの損になる。さらにレンタルソフト屋がなくなり、メーカーの利益が増えれば、ソフトの値段もおのずと低下する」というものであった。一方レンタルソフト屋の言い分としては「マニュアルの不備や中身が試せないなど、製品販売に対する誠意が欠けている。また、類似品の横行や販売価格が不当に高い」というものであった。ソフトメーカー、レンタルソフト屋ともにユーザーの利益を考えてはいるが、両者の主張は平行線をたどる議論でしかなかった。レンタルソフト屋の問題はこのあと数年に渡って議論されていくことになるが、結局レンタルは禁止となり、さらにゲームのCD-ROM化などにより、その姿は消えていくことになる。ただ、今になっていえることは、我々ユーザー(特に高校生、中学生など)にとって、レンタル屋なくしてはパソコンゲームがここまで身近なものにはならなかっただろうということである。もちろん、レンタル屋がなかったとしても、おもしろいソフトは売れてパソコンゲーム業界は、それなりに一般に浸透したかもしれない。ただ、若年層の圧倒的な支持というのは、コピーあってのものだったということは明記したい。もちろん、コピーやレンタルは法律的に禁止されているので、これを肯定する気は毛頭ない。


コピーツールについて

PC88にはさまざまなコピーツールが登場したが、どのようなものがあったのだろうか。まずテープ版のバックアップユーティリティから見ていこう。ネーミングがかなりグッドだ。


テープ版コピーツール

コピーツール名メーカー説明
PC8801ディスクユーティリティWING山のようなテープ版のソフトを数枚のフロッピーディスクにまとめるツール。複雑なSAVEのしかたがされているものは、WINGのサポートを利用することができる。
スーパーコピープログラム-88LOOP1200/600ボー共にコピー可能な、テープ版ソフトコピープログラム。4,000円。
スーパーコピープログラム-80LOOPテープ版ソフトコピープログラム。3,000円。
TAPEBACKUP for PC-8801SYSTEM AGENTPC-8801/8001のマシン語モニタのR,R2,Lで読めるマシン語プログラムのバックアップ・プログラム。3,000円。
シークレットコピー PC-8801ソピアテーププログラムのバックアップソフト。1回1プログラムタイプのコピーツールで、いくつものプログラムからなるゲームの場合は手間がたいへん。
必殺複写人YNソフト販売テープ版プログラムをコピーするユーティリティ。mk2にも対応。
COPY BOYメディアポリスデータレコーダ1台用/2台用のテープ版ソフトバックアップツール。ボーレート等のチェックプログラム付き。単一/複数プログラムのバックアップ可。
ダビンガーZSRGデータレコーダを2台使い、本体を通してデータの波形を新たにし、ダビングするバックアップツール
テープ名探偵TAMA HOUSEカセット版バックアップツール
浪人生TAMA HOUSEカセット版のソフトをDISKに保存するユーティリティ。
エヌエス君TAMA HOUSENS-DOSを使用して、テープ版ソフトを自動的に読み取ってセーブするツール
スーパーバックアップPCマイコンシステム テープコピーツール
BABY SHARKテープコピツールテープ版ソフトコピーツール


ディスク版コピーツール

ディスク版のコピーツールは、大きく分けて5つある。どんなものがあったか、簡単にまとめてみた。

1.オートモード一本槍のコピーツール

このタイプのコピーツールは、初期ものに多い。とにかくオートモードでどんなソフトも一発でコピーしようとするもの。このタイプのツールでは「BABY MAKER」が初期では有名。しかし、プロテクトの発達には当然ついていくことができず、少し経つと使い物にならなくなるのが特徴である。

コピーツール名メーカー説明
BABY MAKERマイコンシステムおそらくディスクコピーツールの元祖。オートモードオンリーだが、初期のプロテクトは力が入っていなかったので、ほとんどのソフトのバックアップがとれた。また、オートで取れないものも、パラメータを設定すれば取ることが可能だったが、このモードは隠しモードだったため、ごく内輪でしか広まらなかった(GRPH+SHIFTキーを押しながらSTOPキーを押す)。Ver.Ⅱではこのモードが標準で装備されたが、使いこなすことはほとんど不可能だった。数ヶ月後に自動的にパラメータを作ってくれる「青柳君」が登場した。青柳君と組み合わせれば、かなり強力なツールになった。
青柳くんマイコンシステムパラメータを自動的につくる人工知能搭載のソフト。作者の名前が青柳だったところから名前がついた。「青柳君」でバックアップしたいソフトをアナライズしてパラメータを作り、「BABY MAKER」を立ち上げて、つくったパラメータをロードしてやるとバックアップができる。付属のマニュアルがすぐれており、プロテクトについていろいろと詳しく書かれている。
COPY CATアタリックス初期のオートモードのコピーツールとしてはかなり強い部類だったが、バックアップに要する時間がとてもかかるというのが難点だった。自分自身をコピーしようとすると、「ジブンジシンヲ、コピースルナンテアマイデスヨ」というメッセージが表示されたりした。
Dr.COPY88 唯我独強アイ・オー・ライターズ
The HANDPIC、The HANDPIC B1(B1から発売元変更) 、The HANDPIC B1Rアーガスエタープライズファイラーが定着してきたころにオートモードオンリーで殴りこみをかけてきたバックアップツール。初期バージョンではマルチセクタフォーマットをコピーすることができ、「B1」では、2周フォーマットやトップシフトも征服したというすごさ。「B1R」は「B1」のときにあったアナライザ機能が強化されただけのものだった。
スーパートレースマンMUSY・SOFTWAREワープロソフト「文筆Ver.Ⅱ」というものがあり、これがオートで取れるというのが売り文句だったソフト。しかし、解析すると単なる「文筆Ver.Ⅱ」用のファイラーだった。
おまかせDISKMGR「人工知能搭載によりすべてのバックアップツールを超えた日本一のバックアップツール」という広告文句が印象的だったもの。オートモードはまぁまぁ強く、バージョンアップをするたびに強くなっていった。ファイラーモードもあったが、ファイラーサポートがなかったことと、ファイラーがすべてマシン語で書かれていたために、自分で作ることが出来なかったことなどもあり、使われなくなっていった。その後、「おまかせTOOL」という名前になったが、ファイラーサポートは相変わらずだった。
BACK-LOG MAKERNTSPC用のソフトとFM用のソフト両方をバックアップできるというすぐれもの。時間がやたらとかかり、どの部分のバックアップをとっているかという表示もでない。

2.ファイラー機能メインのコピーツール

オートモードではとれないプログラムに対して、専用のコピープログラムで対応する形式。オートが弱く、なんでもファイラー化してしまうのが得意である。初期では、マジックコピーが専売特許だった。このタイプのツールは、同じゲームにいろんなプロテクトのバージョンがあると苦しかったが、88後期は「The FILE MASTER」に代表されるこのタイプのツールのみになってしまった。ちなみに「ファイラー」という言葉はウエストサイド社の造語であり、他社ではコンストラクションモードとかオプションと言っていた。

コピーツール名メーカー説明
MAGIC COPY
画面
ウエストサイドファイラー系のコピーツールのフロンティア。昔ウエストサイドがマイコンクラブだったころに、仲間内でソフトのバックアップをとるためにつくられたのが「MAGIC COPY」だった。その後「オートで取れないものはファイラーで勝負」と、そのソフト専用のバックアッププログラムを搭載し、「MAGIC COPY Ⅱ」となった。バックアップツールとしては珍しくプロテクトフリーで、誰でもディスクをいじったり、ユーザーがファイルを作ることも可能だった。当時無敵と思えたファイラーモードだが、発売ロットごとにプロテクトを変えてきたソフト(ロードランナーなど)やバージョンがちがうものは取れないという難点があった。しかし、ユーザーが取れないソフトがあった場合は、ウエストサイドへ送ればそれに対応したファイラーを作ってくれたり、一定期間ごとにファイラーを更新していったりと、オートモードの強化よりもアフターサポートに重点を置いていた。
WIZARD88
マニュアル
画面
ウエストサイド「MAGIC COPY」の機能アップ版ともいうべきソフトで、特に98では有名。
MidnightDiskMagic日本パソコン機器4つのバックアップモード、アナライザーモードをもつコピーツール。ハイパーオートモードでは、タイムカウンタで各セクタの物理的長さを計れ、1トラック内の最後のセクタまで計れ、さらにGPL3を正確に計れる。ダミーセクタをサーチしてスキップするモードがある。VerIIになって、アナライザが強化され、ディスクのモータをON/OFFさせることによって、単倍フォーマットやデータ入りCRCエラーが作れる機能がついた。ファイラーのサポートとしては、月に1回ファイラーリストの載った本とファイラープログラムの入ったディスクが発行され、定価が1000円であった。しかし、「The FILE MASTER」のファイラーを盗作したことが判明し、サポートが遅れるようになった。
TWIN COPYプロテクト工学研究所
CHARM COPYパソコンランドオードモードと、ファイラーを使った個別対応モードからなるコピーツール。オプションファイルにすべてを託し、ノーマルコピーやディスクコンペアなどもファイルの1つにしてしまうという大胆な発想。他のコピーツールの対応の速さについていくことができずに、いつのまにか消滅してしまった。
THE FILE MASTER88
マニュアル
画面
京都メディア2複数のディスク版ソフトを1枚のディスクにまとめるソフト、「DISK SAVER」の発展バージョン。簡単なプロテクトに対応しているEASY BACKUPがあるだけで、オートモードはなし。すべてがパラメータ命のソフト。サポートは、「RATS&STAR」のパラメータを作っていたMakoto.氏が行っていて、提供スピードの速さはNO.1だった。後期の88のバックアップツールでは最も信頼性があり、普及したものである。
COPY AID
画面
ソフトパルこちらも88の後期の代表的なコピーツール。ファイラーの豊富さがウリで、結局88のコピーツールで最後まで残ったのは、これと「THE FILE MASTER」だった。ファイラーを300個ほど入れた「影武者」などもあり、コストパフォーマンスもかなりのもの。

3.アナライザーメインのコピーツール

コピーツールではないような顔をして、ちゃっかり本当の目的はコピーである。またディスクアナライズ機能が充実しており、自分でプロテクトを解析する人には必需のツールである。ファイラーを持つものもあるが、おまけ程度である。

コピーツール名メーカー説明
COPY BOYメディアポリス、その後M.U.C「S.B.U.T(ササキ・バックアップツール)」というバックアップツールがあり、その市販バージョンが「COPY BOY」。佐々木氏はスクウェアで音楽関係のプログラムの仕事を後にしていたという話。強力なマニュアルモードがあり、まずオートモードでバックアップしてライトエラーを起こしたトラックを、マニュアルモードでチョコチョコといじくってやればバックアップできるというもの。書き換えをサポートしていないファイラー「COPY GIRL」モードもついていた。COPY BOY自身のコピーが失敗すると、おまけゲームが始まる。
Naoko 5セブンメディアダミーセクタ、マルチセクタ、2周フォーマットなどに対応するオートコピーメインのツール。起動するとかわいい女のコの画面が登場。Ver2.1、Ver2.3、Ver3.0と3回もバージョンアップしたせいか、アナライズ機能がかなり充実している。最新バージョンでは、自分自身を1枚だけコピーする機能や、解析力判定ディスクをつくる機能など、アナライザとしては、これ以上の機能は考えられないくらい充実していた。
RATS&STAR
マニュアル
画面
RATS&STAR USER'S CLUBPC8801のアナライザといえばこれ、と決めている人も多かったツール。ファイラーを作るときは簡易言語を使う。Ver.1からVer.2になり、オートモードがつき、アナライザが強化され、高速デバッガもついた。Ver.1であった、プロテクト判定用の点数表示がなくなってしまった。サポートもパラメータマガジン、パラメータディスクの定期発行、パラメータのクイックサービスなど充実していた。
EXPERT88
画面
ソフトパル先に発売された「EXPERT-FM」の88版として登場した。「RATS&STAR」「THE FILE MASTER」とともに御三家と呼ばれたツールで、サポートもよく、オートモードもかなり強力だった。ファイラーもあるが、おまけ程度である。Heckle.氏が有名。
Artisan日本パソコン機器HADというデバッガがついたディスク解析用のツール。
DISK ANALYZERソフトハウスブレーンディスク解析用のツール
THE PROTECT MASTERマイコンシステムディスク解析ユーティリティとBabyMakerのサポートソフトからなるソフト。
新撰組PROXアナライズツール。P-COPYというコピープログラムつき。
おまかせDISKMGRソフト&ハードセクターReadWrite、ソート、フォーマット、プロテクトのかかっているディスクのバックアップの機能をもつユーティリティ。
おまかせTOOLMGRソフト&ハードアナライザー、バックアップ機能を備えたツール。

4.ハードウェアとソフトの合体コピーツール

デュプリケータ(ビットマシーン)の登場で、88のFDCでは再現できないようなフォーマットをもったプロテクトが増えた。そのため、オートモードのコピーツールではほとんど歯が立たなくなってしまった。デュプリケータは個人でとても個人で購入できるような値段ではなかったので、手持ちのパソコンをボードのみでデュプリケータ化させるという、「アインシュタイン」は画期的な製品であった。
しかしアインシュタインの登場は結局プロテクトのレベルをさらに上昇させる結果となり、デュプリ業者がプロテクトを請け負い、プロテクトをかけるプロが登場し(ランハードや東京電化)、さらに泥沼にはまっていく結果となった。

コピーツール名メーカー説明
アインシュタインマイクロデータ元祖ハード込みコピーツール。触れ込みは「コピーできないソフトはない」。このアインシュタイン、本体価格はハード込みで51,300円という高額で、なかなか一般コピーユーザーには手がでなかった。発売当初は値段相応にほとんどのゲームがコピーできたため、レンタルショップなどが愛用していた。アインシュタインの設計のユニークな点は、ハードよりもソフトを重視している点で、これはハードの極度な低価格化を可能にしただけではなく、柔軟な拡張性を備える布石となった。すなわち、ソフトのバージョンアップにより、デュプリケータの性能アップが可能だったのである。ハードは「FDCの一部」として寄与しているにすぎなかった。
ただ、マニュアルに「ソフトはまだ未完成」などと逃口上が書いていたり、同じソフトを何回かコピーすると、その都度表示が変わったりという珍現象がおきたりして、動作がなかなか怪しく、さらに時間がたつとアインシュタインでもコピーできない通称「アイン殺し」のプロテクトが開発されてしまった。
そのアイン殺しとして現れた「回転数」のトラップを破るために「まむしの執念」が登場。さらなるアイン殺しの対策として、「がまの油」「聖善説」「イタチ魂」なども売られていた。
マシンヘッドデータシステムアインシュタインのデッドコピー品。値段はやすい、サポートもなしで、会社がドロンしてしまった。
スーパーデュプリケーターアウトローこちらもアインシュタインのデッドコピー品。コストを考えて韓国で生産、日本で逆輸入ということをしていた。
ナポレオン88ソフトタウンポスト「アインシュタイン」というようなもの。アインシュタインとは違った方法(タイムカウント方式)でバックアップを行っていて、アインシュタインでいうところの「まむしの執念」(回転数の調整)が不要であるというのが大きな特徴だった。
NewType88
マニュアル
REDMAX増設ドライブコネクタにハードを挿入する。REDMAXモードという強力オートコピーがある。

5.ハードウェアによるコピーツール

これは一般にデュプリケータといった名称で販売されていた。メーカーとしては、本州商会、グロリアシステムズ、NOCなどが有名。どのようなものかというと、ディスクユニット単体で動作するコピー機のようなもので、本州商会のコピーマシンは、ワンコピーに約35秒という速さである。またインデックスホールの位置を検出し、同期の取り方も完璧に近く、「アインシュタイン」のようなものとは全く別物だと思って良い。ただし、インデックスホールをまたいだセクタ・テクニックに弱く、値段も28万円もすることから、一般のユーザーには縁のない代物で、もっぱらソフトハウスや企業向きのものであった。ちなみにNOCのものは50万円、グロリアシステムズのものは29万8千円で、本州商会のセクタテクニックの弱点を克服しているようであった。


ソフトウェア以外のプロテクト

これまで述べてきたプロテクトは、ディスクにソフト的にプロテクトをかけるものだったが、なにかハード(付属品やマニュアル)を使って、ゲームのフロッピーディスクをコピーしただけではできないようにしてしまうものも存在した。そのようなものの一部を紹介する。

その1 トップルジップ(ボーステック)

おそらく業界初のハードプロテクトと思われるもの。これ以後にも、このような明確な形でハードプロテクトを推し出したものは少ない。トップルジップに右の写真のようなモジュールが付属している。これは、「Jモジュール」と呼ばれるジョイスティックポート(汎用I/Oポート)に接続するハードである。このモジュールを差し込んだ状態でないとゲームがプレーできないようになっている。また、Jモジュールを接続すると、当然ジョイスティックは接続できない。つまりトップルジップはジョイスティックではプレイできないということである(まぁ、この当時そんなにジョイスティックでプレーする人もいなかったが・・)。また、Jモジュールを接続したままだと、他のジョイスティック対応ゲームがプレイできなくなる(誤動作する)。したがってトップルジップをプレイする度に、Jモジュールを抜き差ししなければならないという不便極まりない事態が発生するのである。

さらに、このゲームは追い討ちをかけるように、たいしておもしろくない。このゲームがもっとおもしろくて、大ヒットにでもなればハードフロテクトももしかすると増えていたかもしれない。そう考えると、これは失敗に終わってよかったのかもしれない。とりあえず、私は当時、あまりのおもしろくなさに買う気が起きなかったことだけは伝えておこう。

<備考>

業界は違うが、明確なハードウェアプロテクトといえば、Macintosh 用の DTP ソフト『Quark Xpress』がある。『Quark』を使用するためには Macintosh の ADP ポートに専用のモジュールを接続しておく必要がある。ただし、Jモジュールとは異なり、このモジュールの先に他の機器(keyboard等)をカスケード接続でき、また、他アプリケーション実行時に悪影響が発生することのないように設計されている。


その2 サイオブレード(T&ESOFT)

さて、次は全画面バリバリアニメーションするフレコミで登場した「サイオブレード」。このパッケージには、「メロディモジュール」という小道具が入ってる(左写真参照)。まぁ、どうみても一種のハードプロテクトだが、当然T&ESOFTではゲームに絡む重要なアイテムだということでハードプロテクトなどとは公言していない。実は、ゲーム中にラクーンというコンピュータが登場し、このコンピュータにアクセスするためのパスワードがこのメロディモジュールから流れる曲だという強引な展開である。メロディモジュールはボタンを押すたびに、8曲の曲が順番に流れる。パスワードを解く場面で、88から曲が流れるので、それ曲のタイトルをメロディモジュールの曲と聞き比べて当てるわけである。しかし、このプロテクトは忍耐のある一部コピーユーザーにはあっさりと破られた。というのも、この曲当ては、番号選択式なので、ずーっと「1・2・3」と入力していれば、いつかは当たるのである。だいたい20分から30分で当たるといわれている(運が悪いと一生当たらない)。


その3 ジーザス2(ENIX)

次は、エニックスの名作「ジーザス」の続編の「ジーザス2」である。このゲームはディスケットに注目(右の写真参照)。赤、青、黄色・・などのみごとなカラーラベルである。実はこの色がなんと一種のプロテクトなのである。ゲームの最後の方で画面のコンピュータにディスクをいれる場面がある。その場面でなんと「ジーザス2」自体のディスクが画面のディスクに対応していて、「・・・色のディスクを入れてください」(正確にはこうではないかもしれないが)というメッセージに従って、ディスクを入れ替えなければならない。適当に何度も入れ替えれば、とりあえず解くことはできるが、コピーユーザーへの嫌がらせ以外の何者でもない。ちなみに私の友人M氏は非常に感が鋭く、コピーしていたディスクに色できちんとメモしていたため、ピンチをまぬがれている。


その4 アルギースの翼(工画堂)

さて、次は工画堂の「アルギースの翼」。これはよくあるマニュアルプロテクトの一種だが、ちょっと特異。マニュアルプロテクトは、マニュアルにある情報を書いておいて、それを見ないと先に進めないようなプロテクトである。逆にいうと、マニュアルさえコピーしていれば全くノープロブレム。ところが、この「アルギースの翼」の「翼龍の書」、マニュアルが異様に小さい(左の写真参照)。タバコの箱より一回り大きいくらい。しかもこのマニュアル大変厚い。こんな小さくて厚いマニュアルはコピーする気がまず起きない。このゲーム、実際どれくらいマニュアルがゲームに関係あるのか実ははっきりわからないのだが、これも一つのプロテクトといえるのではないだろうか。



その5 覇邪の封印(工画堂)

最後にまたまた工画堂の「覇邪の封印」。これはプロテクトとはちょっと違うかもしれない。「覇邪の封印」は、前作の「コズミックソルジャー」に対して、「ユーザーにもっとやさしく」というコンセプトで作られた作品。で、パッケージに親切にも全体のマップが布製で入っている。「もう地図を書く必要なんてありませんよ」ということだ。しかし、これがコピーユーザーにとって仇となった。このゲーム、開始時になんと自分のマスは1マスしかみえない。つまりこの地図をみて上にある町までまずいきなさい・・ということなのだが、地図がないとどこなのかさっぱりわからない(地図があってもけっこう難しい)。おまけに間違えて川に入ろうものなら、あっという間に流されてしまう。なんてことで、こんなところにもコピーユーザーに対する仕打ちがしくまれていたのである。



最後に

昭和60年の6月に著作権法の一部の改正が行われ、コンピュータのプログラムを法律で保護するために規定が設けられた。プログラムを制作した人を著作権者とし、著作者は自分が作ったプログラムに関して、複製する権利、レンタルする権利、プログラムを改変する権利などを所有でき、著作者の承諾を得ずにコピーしたり、レンタルすることは違反行為となった。
しかし、その後もT&Eソフトが刑事訴訟を起こしたりとコピー問題は収まることがなかった。そしてメーカーで言うことはいつも同じだった。

「レンタルがなくなれば、コピーにかけるお金が減りソフト代が半額になる」・・・

コンピュータゲームが、良質でしかも安価で買えるような時代になり、コピーという言葉が死語になる時代が来るのはいつだろうか・・。

参考文献:
PCマガジン85年4月号P.58、90/11月号
コピーツールの徹底使いこなし術
ザ・プロテクト(秀和システム)
コンプティーク88年10月号