ぱのらま島

特別講演「伝説のゲームクリエイターに聞く」第2弾を終えて

2017年7月22日にマイステイズ御茶ノ水コンファレンスセンターにてゲーム保存協会主催による講演イベントを開催しました。
毎年7月に開催しておりますイベントですが、活動開始5周年となった昨年は日高徹さんをお迎えして講演を開催し、大変好評いただきました。
そこで今年もゲストを迎えての講演を企画させていただきました。メンバーやサポーターの方々から広がったコネクションによって、今回は3人ものゲストをお迎えすることが出来ました。
 

ザナドゥ

ザナドゥ(シャープX1版)

「天才プログラマー」「スタープログラマー」の名をほしいままにした元日本ファルコムの木屋善夫さん、同じく元日本ファルコムで数々の名作グラフィックを手がけて来られた山根ともおさん、そしてお二人をよくご存知のログイン元編集長 新井創士さん(ほえほえ新井さん)という3名の豪華ゲストの方々です。
 
当日は午前に正会員のみによる総会を開催し、午後よりイベントを開催しました。講演に先立って13時より「ファルコム黎明期―初期のゲームソフトを振り返る―」展を行いました。資料展示室にて協会メンバーが所蔵している日本ファルコム作品の貴重なバッケージを説明とあわせて展示させていただきました。初作ギャラクティックウォーズ1は非情にレアな初期版の紙パッケージ展示もあり、資料価値はかなり高い展示であったと自負しております。
また展示室にはPC-8801を2台をセッティングし、木屋さんの処女作ギャラクティックウォーズ1と2作目のぱのらま島をプレイできるように用意させていただき、多くの方に楽しんで頂くことができました。
講演は展示会場と同フロアーにあります会議室を利用し、100名分のお席を用意させていただきましたが、事前の予約で満席となる盛況ぶりでした。
 

バードランド&スーパー四人麻雀

黎明期のゲームソフト

14時からNPOの2016年度年次報告を正会員の日下よりプレゼンテーションさせていただきました。レトロPCの修理・メンテナンス資料をまとめるというプロジェクトの説明を行った際に「修理が必要なレトロPCを持っていますか?」という質問を来場者へさせていただいたところ7割近くの方が挙手されておられましたことは、NPOとしてのプロジェクトを進める必要性を強く感じました。
年次報告を終えて、続けて3名のゲストにご登壇いただき、ゲーム保存協会特別講演「伝説のゲームクリエイターに聞く」第2弾と題しまして、木屋さん、山根さんが日本ファルコムに在籍しておられた当時のお話を中心にご講演いただきました。
はじめに木屋さんの歴史を振り返る形でお話をお伺いさせていただきました。
PCでプログラミングを始める前のころのお話から、当時の日本ファルコムの環境や開発環境などお答え頂きました。講演で印象が強かったお言葉は「アセンブラが一番簡単な言語でしょ?」でした。やはり天才プログラマーです。
山根さんにも同じく日本ファルコム入社以前の活動からお伺いし、日本ファルコムでのグラフィック開発環境やチーム毎のカラーの違いなどについて興味深いお話を頂きました。「下絵などはなく、いきなりドットを打っていた」という作風で様々なキャラクターを作成されていたことに驚きました。
お二人にお話いただく中、新井さんからは雑誌のランキングに関するお話や他紙との関係、日本ファルコムの取材に関してなど、当時の雑誌編集を行っていた方でしかわからないようなエピソードを教えて頂きました。特に「ファルコムは取材の対応も良く、発売延期がないメーカーだった」というお話は日本ファルコムの姿勢を伺えるお言葉でした。
 
ギャラクティックウォーズ1 日本ファルコム展示会
 
一時間ほどの講演の後、小休憩を挟み、続いて木屋さんと山根さんが作成された個別のゲームソフトについてのお話をお伺いしました。
ギャラクティックウォーズ1から始めさせて頂き、ぱのらま島、ドラゴンスレイヤー、ザナドゥ、ソーサリアン、ロードモナーク、風の伝説ザナドゥなどの木屋さんの作品だけではなく、太陽の神殿、イース、スタートレーダーといった山根さんがグラフィックや原案に携わった作品についても、制作にまつわる思い出や当時の苦労、雑誌での評価などについてもお話いただきました。
一部は黒歴史となっているような部分、80年代であったことによる緩さなどのお話もお伺いできました。自分としては、もうすこし突っ込んだ内容についてもお聞きしたかったのですが、お二人の作品が膨大なために時間的に割愛せざるを得ないことが多く、消化不良ぎみでした。
司会進行の不手際で予定公演時間をオーバーしてしまいましたこと、最後の方は急いで進行してしまったことを当日ご参加いただいた方々にお詫びします。
最後に「お二人にとってのゲーム制作とは?」とお伺いしたところ、山根さんからは「楽しんでくれる人のためにやっていること」。そして木屋さんからは「趣味」というお答えでした。
 

コンファレンスルーム

秋葉原近辺のコンファレンスルーム

講演終了後は会場を移して、サポーターの方々とカクテルパーティで二次会を行いました。
こちらの席でも講演ではお話いただけなかったような話題も飛び出し、新井さんからは「当時の雑誌編集者を集めて話をすることなんかも面白いかも」というような、今後のイベントへ繋がるようなお話もいただけました。
こちらで1時間半ほど歓談の後、NPO正会員を中心としたメンバーで居酒屋にて打ち上げを行い、解散となりました。
非常に充実したイベントで、司会ながらに楽しむことが出来た1日でした。
今回のイベントへご来場、参加くださった多くの方々へ感謝いたします。
ゲーム保存協会はゲーム保存活動や研究のみならず、講演などを通じてゲームの歴史を掘り起こし、伝えていく活動も精力的に開催させていただきたいと考えております。こうした取り組みはサポーターの皆さまからのご支援により実現するものです。ゲーム保存協会の活動にご支援ご協力いただいている皆さまには、協会員一同、深く感謝いたします。そして、これからもこうした取り組みを継続できるよう、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
 

カクテルパーティ

カクテルパーティ

事前に頂いた質問は可能な限り講演中にお伺いしましたが、いくつか漏れがありました。後日、ご回答をいただきましたので、質問と回答を記載させていただきます。
 

木屋さん

木屋さんへの質問

■なぜX1用テープ版ザナドゥを販売することになったのでしょうか?テープ版開発時に苦労したことはありますか?
【答え】
ハードウェアへのアクセス部分(当時BIOSと呼んでいました)が完全に分離されていましたのでそれを活かすことにより比較的簡単に対応できたので挑戦してみました。
実際、数週間で動かすことができたのですが、やはりテープは遅いwで、その調整に結構手間取ったと思います。
 
■家庭用ゲーム機での開発で、 パソコン向けとは違ったご苦労などのエピソードはございますか。(特に「ドラゴンスレイヤー」のスーパーカセットビジョン版・ ゲームボーイ版に興味がありますが、 これらに直接関わられていないのであれば申し訳ありません)
【答え】
ドラゴンスレイヤーのSCVもGBも関わっておりません。
PC用の開発もゲーム専用機も当時はICEなど高価な機械を使用しておりましたので特に違いは感じませんでした。
ただ、生産ロットの単位が大きいのでバグを仕込んでしまうと損害が大きく、そのへんは慎重にならざるを得ませんでした。
 
■月刊BEEPに「ぱのらま島では技術が追い付かず、 やりたいことがほとんどできなかった」 とインタビューに答えておられましたが、実際にプログラム技術が追い付けば、 どんなアイデアを盛り込んだゲームを完成させたかったんでしょうか?
【答え】
覚えてないです。
 
■当時のクリエイティブの根源と、今のゲームクリエイティブにアドバイスしたい事があればぜひお聞きしたいです。
【答え】
そんな偉そうなものはないです。
ただ、仕事としてとか、知名度を上げたいとか、稼ぎたいとかではなく
自分が作りたいものを作っていただけですので…
 

山根さん

山根さんへの質問

■当時日本ファルコムで3チームでの開発に携わっておられますが、チームの制作環境の違いや戸惑ったこと、印象に残っているエピソードなどありましたら教えていただけますと幸いです。
【答え】
ファルコムに入って初めて組んだのが木屋さんになりますが、第一印象は『おっかない人』でした。
他人を拒絶してるヤンキーのイメージが近いですね。
当初は会話は必要最小限に限られ、私的な話はそれ程していなかったと思います。
トミオービルに移った頃は結構フランクになっていたようにも思いますが、私的には最後までおっかない人の印象は無くなりませんでした。
木屋さんとのエピソードで語れるようなもの(?)は、遅刻貯金箱、倉庫冷房攻め、グラディウス暴行事件以外ではすぐ思いつくものはありません。
また、これは最近になって再会した音楽の阿部さんから聞いた話ですが、「とにかく山根さんの木屋さんからの扱いが見るに堪えないほど酷く」て、私の事を30年たっても思い出せたそうです。
たしか木屋さんの机で勝手にファミコンかなんかを遊んでいたら物凄い突っ込みを食らったとか、そんな状況だったかと思いますが。
 
木屋さんに押さえつけられて自由な製作が出来なかった(と当時は考えた)私は、新たに入社してきた橋本さんと組めば自由に作れると思って、ロマンシアの後に橋本さんとイースを作る事になる訳です。
橋本さんと初めて一緒に仕事をしたのは太陽の神殿になりますが、これはアステカの二作目として基本的にオリジナルとは捉えてませんでしたから、(当時の私は)自由に作っていたとは考えなかったのですね。
橋本さんはスタッフの言う事を良く聞いてくれ、いろいろと盛り込もうとしてくれました。故にスケジュール的には問題となる事もあったりしましたが。
絵のデータやメモリ領域もデザイナーの要望をなるべく叶えるべく試行錯誤してくれました事は、当時からものすごく感謝していました。
橋本さんはご自宅にスタッフを招いてゲームで遊ぶやら、ビデオを楽しむやら、とてもフレンドリーなお付き合いをさせてくれました。
カトービルの頃(Ys開発中か?)、MSX2のコナミの新作が出る度に会社に2人で居残って徹夜してエンディングまでPLAYしたものです。んな事してるからYsが1パッケージに入らなくなってしまった気もしますが。
 
富さんはゼネラルプロダクツ上がりという事もあって、私にとっては3人の中で最も考えを伝え易かった人でした。
ですが、解かっていた上でそれをストレートにネタにする事を憚らない大阪芸人でもありましたので、面倒くせぇと感じる事も多々あったりもしました。
お互い結婚していなかった事もあって、カトービルの近くにある居酒屋一休(今も未だある)でよくお酒を一緒して愚痴を言い合っていたりしましたね。
当時モデムが一般人でも入手できる程度に普及し始めていて、1200ボーレートだったかその程度のモデムを使って、都内のBBSを介してグラフィックデータを送受信してみたりとかもしました。
物凄い長い時間「ピ-ガ-」して、NTTにお金を払ってまで、しょぼい白黒のリボンの絵なんかを受け取ったりしてみたり。
純粋なグラフィックの転送は当時のハードスペックでは無理があると解ってましたけど、試してみたい気持ちが抑えきれなかったりしたもので。
 
開発環境の違いで戸惑う事はほぼ無かったです。
木屋さんのツールは私にとってはデファクトスタンダードみたいなものでしたし、他のチームでも要望を出せばそれなりに応えてくれましたから。
ですが、X1ザナドゥテープ版のPCG、MSX2イース1のタイトルグラフィックは対応するツールを用意する時間も(おそらく予算も)なかったので、メーカーが本体にオマケで付けるエディターを使う事になって閉口しました。
特にシャープのPCGエディターは、マウス環境に慣れ切って堕落していた事もあってテンキー操作等に暴れたくなりました。
 

新井さん

新井さんへの質問

■ザナドゥの隠しネームなど、解析しないと分からないような隠しフィーチャーはファルコムさんやメーカーから情報提供があったのでしょうか、それともユーザーやスタッフの解析だけだったのでしょうか?
【答え】
ザナドゥの隠しネームですが、編集部で解析はしていません。読者からの投稿にあったかもしれませんが、掲載した記憶はありません(記憶がないだけで、掲載しているかもしれませんが。)
日本ファルコムさんからは、いくつかの隠しネームを提供いただきました。画面写真を撮るためにパラメータMAXの隠しネームを使った記憶はありますが、隠しネームの一覧を掲載した覚えはないです。
アイテムショップなどの隠しフィーチャーはファルコムから聞いた情報ではないです。新井の部下がザナドゥをプレイして、たまたま見つけているとか、読者からの投稿を検証していたことはあったかもしれません。
 
ゲーム保存協会 副理事長 福田

ゲーム保存協会 Game Preservation Society

NHKワールドでゲーム保存協会についての30分ドキュメンタリーが放映されました

2017年11月28日、春からの長期取材を経て、ついにゲーム保存協会の活動を紹介するNHKワールドによるドキュメンタリー番組が完成、放映されました。
Inside Lens, Game Preservation – The Quest –
 
https://www.gamepres.org/media/
 
日本が世界に誇る一大コンテンツでもあるゲーム。社会現象を巻き起こしたインベーダーゲームから、世界的なヒットアイコンになったスーパーマリオまで、ゲームは日本のポップカルチャーの大事な一要素です。このドキュメンタリーでは、こうした日本の黄金期のゲーム作品とその歴史を保存し残そうとしている当協会の活動が丁寧に紹介されています。
あまり知られていませんが、今のゲーム文化の礎ともなった70年代、80年代の古いゲームは現在、劣化の危機に直面しています。資料の散逸も進み、何もしなければあと数年後にはゲーム黄金期を支えた古いアーケードやPCゲームは壊れて動かなくなり、二度と再現できなくなってしまいます。こうした状況に立ち向かうために作られたのが、ゲーム保存協会です。
ドキュメンタリーでは普段はあまり表に出ない協会のメインメンバーたちも紹介され、失われつつある古いゲーム文化とその資料をどうやって残しているのか、修復やアーカイブの作業風景などを見ていただけます。
ドキュメンタリーの中で高井商会の高井さんが語る通り、ゲームの保存にはお金がかかります。本来であれば国などが博物館として資料を守っていかねばならないところですが、そもそも「国」を作っているのは私たち一人ひとりの国民。
このままでは、浮世絵のように資料が散逸し、日本の文化財がこの国からなくなってしまいます。ドキュメンタリー最後に理事長のルドンは次のように語っています。
“ 日本には日本人にしかない感性があります。日本のゲームには日本人にしか作れないような作品があるんです。こうした独自の歴史から再び学び、新しいものを作っていくことはとても大切で、だからこそここ日本での活動に意義があるのです。”
ゲーム保存協会の活動は、はじまったばかりです。日本だからこそ作れた作品をどこまで残せるかは、これからの活動展開にかかっています。そして歴史的ゲームへの再評価が国をも動かす文化的ムーブメントになるかどうかは、実はこの国に暮らす私たち一人ひとりの国民の力にかかっています。
現在、政府ではクール・ジャパン戦略の一つとしてゲームなどサブカルチャーに関する様々な取り組みをはじめていますが、漫画やアニメなどの表現形態にくらべると、ゲームに対する対応は後手に回っているのが現状です。資料の劣化や散逸状態がひどいゲームを考えると、今のままでは文化保護は確実に手遅れとなってしまいます。
ゲーム保存協会はNPOです。市民が、市民とその未来のために積極的に動くことで成り立っています。私たちはこれからも活動を続けますし、国とも積極的にやり取りを続けます。資料の危機的状況を正確に伝え、博物館やアーカイブ、図書館といった資料を永続的に守れる公的な枠組みを得られるよう真摯に取り組んで参りますので、ぜひ皆様お一人お一人の力を貸していただきたいのです。
活動への協力の仕方は様々です。
ゲーム保存協会の取り組みを周囲に拡散いただくことも一つですし、ゲームの歴史や文化に対する関心を他の方々と共有いただくことも一つかと思います。でも、私たちがいま一番必要としているのは、実は、保存活動を支える資金です。
ドキュメンタリーでも映っていた通り、ゲーム保存協会が保管する資料は劣化を避けるための特殊な容器に一つずつ丁寧に収納されています。紙媒体、磁気媒体など媒体ごとに分け、最大限劣化の原因となるガス等の排出を抑える工夫をしていますが、こうした容器は決して安くはありません。
また、活きたアーカイブを維持するため資料はすべてQRコードで管理していますが、資料ごとにつけられる識別番号のシールなど細かな消耗品も多数ございます。
デコカセなど修理が難しい機器には、特殊な用具が必要で、時には生産が終了しているパーツの再生産を行うことも。
どんなに情熱を注いでボランティアで作業にあたるスタッフがいても、その活動を支えるための資金がなければ、実際の作業は進められないのです。
 
現在、ゲーム保存協会の活動に賛同いただける方に、年会費制のサポーター会員への参加を呼び掛けております。1年に1度、3000円、4000円といったお好きな金額でご寄付をいただき、協会の取り組みを支えていただくシステムで、参加された方には活動内容を伝えるニュースレター、どのように寄付が使われているのかお確かめいただける決算報告などを差し上げております。
「誰かがやっているから、安心。」ではなく「これからも続けてほしいから。」の一言が、ゲームを未来に残す鍵になります。
ぜひ、ご参加をお願いいたします。
 
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ゲーム保存協会 Game Preservation Society

5周年記念特別講演「元プログラマー 日高 徹氏に聞く」を終えて

ゲーム保存協会は毎年7月末に1年の活動報告と研究報告を行っております。本年は活動開始より5年という区切りの年であり、これまでの報告とは趣向の異なるイベントを開催したいと考え、ゲストを迎えての講演を企画しました。
 
今回、パソコンゲーム界で活躍し、深く業界に携わってこられた方として日高徹さんへ講演の依頼をさせていただいたところ、快くご承諾頂き、7月30日に講演会を開催することが叶いました。
 

左から理事の福田、日高氏、理事長のルドン

左から理事の福田、日高氏、理事長のルドン

当日は13時より開場し、資料展示室を設け、日高さん所縁のゲームや資料を展示させていただきました。
展示室にはPC-8801を2台用意し、処女作であるホーンテッドケイブと2作目のマジックガーデンを起動させ、多くの方に楽しんで頂くことができました。
 
また日高さんにご持参いただいた当時の資料を公開し、御自身がゲームプログラミング解析を行った宇宙の戦士(岡田良行氏作、エニックス販売)のフローチャートを始め、ホーンテッドケイブのグラフィック資料やソースリスト、北斗の拳の作成資料を展示させていただきました。
更にはガンダーラのソースリストや原作・グラフィックを担当された槇村ただしさんのキャラクターデザイン画、音楽担当であったすぎやまこういちさんの手書き譜面なども御用意いただき、これらの非常に貴重な資料を多くの方々にご覧いただけたかと思います。
 
マジックガーデン開発資料
 
ゲーム保存協会からは所蔵しているエニックス販売ゲームの貴重な初期版バッケージを数多く展示しましたが、残念ながら日高さんの資料の前には霞んで見えてしまいました。
 

第1回ゲームホビープログラムコンテストの受賞作品の展示

第1回ゲームホビープログラムコンテストの受賞作品の展示

14時から日高徹さんによる講演を開催しました。60名ほど収容できる会議室を利用しましたが、ほぼ満席となる盛況ぶりでした。
 
講演は日高さんの歴史を振り返るところからお話を伺いました。
 
不思議な巡り合わせでゲームプログラマーとなった経緯や独立後エニックスを中心に活動されていた頃のエピソードなど興味深い内容が次々に明らかになるお話でした。
ゲームプログラマーとなるまでインベーダーブームのころも含め、テレビゲームに全く興味がなく遊んだこともなかったということでしたが、にも関わらず非常にゲーム性の高い作品を発表されておられることに驚愕しました。
続いて自身の作成されたゲームや技術協力をされたゲーム、多くの名著書について、一つひとつ解説を頂き、技術的な説明、出版の経緯や苦労された点などの貴重なお話を頂きました。
次にゆかりの深い方々として、エニックス創設メンバーやプロデューサーの方々、同時期に活躍されたプログラマー・ゲームデザイナーの方々についてお聞きし、知ることの出来ない人となりや思い出をお伺いすることができました。
講演を通じて感じたのは、人との出会い・関わりを大切にし、強い意思でやり遂げる力をベースにチャンスを巧みに掴んで来た日高さんの人生でした
 
最後に「日高さんにとってゲームプログラミングとは?」という問を投げかけさせて頂いたところ、「プログラミングそのものがゲームである」という、最も日高さんらしいお答えで講演終了となりました。
 
講演会
 
会場から直接質疑を行う予定でしたが、司会進行の不手際で時間を設けることが出来ずに終了となりましたことをお詫びします。
日高さんからは著書を参加者へのプレゼントとして提供いただき、会場全体でじゃんけんを行って4名の方へプレゼント頂きました。
会場クローズまで書籍やソフトを持ち寄った方へ直接サインを頂戴するなど、参加された方々は時間目一杯まで楽しんでいただけたことと思います。
 
終了後は居酒屋で打ち上げという形で二次会を行いました。
こちらの席でも講演ではお話いただけなかったようなことも飛び出し、つい興奮して飲み過ぎてしまいました。
講演を終えて、日高徹さんを始め、会場へ参加くださった多くの方々へ感謝いたします。
 
ゲーム保存協会はゲーム保存活動や研究のみならず、講演などを通じて歴史の一ページを残し、伝えていく活動も、精力的に開催させていただきたいと考えております。
今後共、よろしくお願いいたします。
当日に質疑の時間が取れず、SNSにて事前に質問いただきました内容を後日日高さんよりご回答をいただきました。
以下、質問と回答を記載させていただきます。
 

福田と日高氏

GPS

■PC-8801のFDD周りの解説に関して、日高さんがなかなか執筆されなかったのはどうしてでしょうか?
【答え】
FDD周りの解説となれば、どうしてもプロテクト関連の話題に触れなければならない…けど、その部分に関しては興味も知識もないので書けなかったということです。単にセーブ/ロードであればすでに書籍として出版されていたし、自著としてのオリジナル性を示せなかったのが最大の理由です。要するに実力不足です。
 
■運転免許証のフルビッターはまだ継続されていますか?
【答え】
普通免許から取得した時点で原付や小特が不要…というか取れなくなるため、厳密には全項目のフルビッターではないのですが、まだ全種類を保有しています。ちょうど今年が更新年で、4月に左目の手術をしたのも誕生日までに回復することを考慮した上での決断です。ギリギリでしたが視力検査に合格し、あと5年間は全種類保有者ということになります。
 
■Z80の未定義命令を使用しないポリシーは市販ソフトを開発する立場として正しい姿勢だったと認識しておりますが、未定義命令を使用しているソフトも多かったと思います。結果論ですが、日高さんのソフトは速度的に不利であったのではありませんか?
【答え】
他のソフトが未定義命令を使っていたかどうかは全く知りません。自分的には未定義命令に魅力を感じたことはなく、ましてやそれが速度的に不利になる…と実感することは有り得ないと思っています。速度の差を実感するほど高速化するには、小手先のことではなくアルゴリズムを全面的に見直さない限り無理…というのが私の考えです。
もし処理内容が同じで他のソフトより実行速度が遅いと感じられたとすれば、それは未定義命令不使用のせいではなく、単にプログラミング技術が劣っていたということです。
 
■「マシン語秘伝の書」は様々な意味で日高徹節が炸裂している名著と思いますが、投稿形式の質問者の質問文もすべて日高さんのオリジナルでしょうか?
【答え】
拙著はすべて私の考えたオリジナル文章です。ゴーストライターを雇えるほど印税がもらえればよいのですが、この手の理工学書でそんなことをすれば手元には一銭も残らないでしょう。
それから、かつて某編集者にも「日高節が…」というようなことを言われたことがあります。自分では真面目で平凡な文章だと思っていたので、何が日高節なのかよくわからないのです…が、もしかすると昔読んだマンガや受験時代の深夜放送、あるいは学生時代の特異な体験が風変わりな思考回路を形成してしまったのかもしれません。
 
■マジックガーデンはプレイ中、キャラクターの動きに合わせて特徴的な曲がBEEPサウンドで演奏されますが、これは日高さんのオリジナル曲でしょうか?BEEPサウンドのドライバなどもオリジナルですか?
【答え】
苦労して作曲したオリジナルです。その数年前に行ったディズニーランド(ロサンゼルス:まだTDLはない時代)の「It’s a small world(小さな世界)」が気に入っていたので、どこかにそのイメージがあるような気がしないでもありません。BEEP音のサウンドドライバは、オリジナルとはいえマシン語を覚えるキッカケとなった「宇宙の戦士」のドライバがベースになっています。
 
■ガンダーラはなぜあんなにスクロールが遅いのか?
【答え】
「遅い」とか「速い」というのは比較の形容詞なので、同じ設定で画面スクロールをさせたゲームを具体的に挙げてもらわないと何とも答えようがありません。
「ガンダーラ」は横8ドット(縦4ドット)のスクロールですが、これを単純に16ドット単位にすれば倍の速度で動くことになります。また、グラフィック的には全画面を完全に動かしてスクロールさせており、同一パターンを多用する部分描き替えスクロール(普通は16ドット単位)より凝った画面構成が可能です。速度が目的なら画面構成は単調ですが後者のほうが有利です。
基本的に「ガンダーラ」のスクロールは移動中のドラクエ画面に敵を表示するというイメージです。そのため、開発中にスクロールが遅いという指摘を受けたことはありません。つまり、純然たるアクションゲームではなく、大きなキャラで敵の動きや攻撃を視覚的にリアルに楽しめるような設計なのです。
もちろん、そうしたコンセプトを受け入れるかどうかはユーザーサイドの問題ですので、遅いというご指摘であれば作り手側の根本的なゲーム設計ミスということになります。
ちなみに、敵キャラの画面エンド処理は、プログラミングが多岐に渡って面倒だったというだけで、スクロール速度とは無関係です。
※あくまでもテスト版ですが、部分書き換えによる16ドット高速スクロールを実現したサンプル・ディスクが手元に残っています(ガンダーラ後に試作)。技術的には私にもできたのですヨ!…ということで、機会があればお見せすることも可能です。
 
■プラジェータの開発苦労話、今だから話せる苦労をお伺いしたい。初期の広告グラフィックとは異なり、キャラクターの解像度を落としたりしたものも高速化・省メモリ化のための苦労だったのではないでしょうか?
【答え】
「プラジェーター」は、最終的にはグラフィックツールとデータ圧縮技術の提供だけで、製品となったプログラムには一切関わっていません。初めてシャープX1上で動く戦闘シーンを見たのが1985年ころ。結果として商品化までに5年近い歳月が流れていることが、とりもなおさず苦労のすべてということです。
 
ゲーム保存協会 福田