特別講演「伝説のゲームクリエイターに聞く」第3弾を終えて

2018年8月4日に昨年と同会場のマイステイズ御茶ノ水コンファレンスセンターにてゲーム保存協会主催による講演イベント「伝説のゲームクリエイターに聞く」第3弾を開催しました。
これは毎年開催しておりますイベントで、昨年は元日本ファルコムの木屋善夫さん、山根ともおさんとログイン元編集長 新井創士さん(ほえほえ新井さん)の3名をお迎えしました。
「東の木屋」とくれば「西の内藤」です。
というわけで今年は「ハイドライド」を筆頭に数々の名作を生み出された元T&Eソフトの内藤時浩さんに御講演いただきました。

例年にない猛暑の夏ですが、当日も快晴、最高気温は34度という真夏日でした。
午前中に正会員出席によるNPO年次総会を行い、会計報告やいくつかの議題を協議し滞りなく総会は終了しました。

 

講演に先立って13時より「ティーアンドイーソフト―名作ゲームを振り返る―」展を開催しました。非常に貴重なPC-6001用の「リアルゴルフゲーム」の初期版の黒い箱パッケージなど、協会メンバーが所蔵しているT&Eソフト作品のパッケージが数多く展示されました。
また内藤さん、ボマーンさん、KAJAさんのご厚意で、現在制作中のゲームであります「New CITY HERO」をプレイアブルデモとして展示させていただきました。「New CITY HERO」はPC-8001mk2+PCG8200が推奨環境という、今日では動作環境を用意することが非常に難しいものでしたが、こちらは「80mk2会」の有志の方々に機材の準備をいただき、多くの方にプレイしていただくことが出来ました。

 

14時から小休憩を挟んでの3時間、ゲーム保存協会特別講演「伝説のゲームクリエイターに聞く」シリーズ第3弾の講演を開始しました。
講演には100名収容できる会議室を用意させていただきましたが、事前の予約で満席となる盛況ぶりでした。
これまでの内藤さんの講演やインタビューはハイドライドやT&Eソフト在籍中を中心としたものが多い印象でありましたが、今回はアマチュア時代から現在のお仕事まで、余す所なくお話いただける形で資料を準備して望みました。

まずは高校生時代。当時からゲーマーでゲームセンターに入り浸っていたようですが、電卓競技会で優勝するなど、活発な高校生活を過ごされていたようです。
当初ナイコン族でマイコンショップへ足を運んでMZ-80Kで作品を作られていたというお話。プレイしていたアーケードゲームを目移植し、その時からすでにマシン語バイナリをいきなり入力していたということです。当時から人間じゃないです。

 

PC-8001を入手後は数々の作品を作られ、工学社のI/O誌へ掲載された作品や第1回アスキーソフトウェアコンテストの入賞作品などのことも伺いました。
そして20才の誕生日前日にT&Eソフトへ入社。突然PC-8801担当に任命され、四角い豆腐を動かすのに1週間ぐらい掛かったということでしたが、あっという間に「コスモミューター」を一人で作成してしまうという凄いお話。
代表作「ハイドライド」シリーズも裏話や苦労話をお話しいただきました。初代ハイドライドは2年間もランキングに登場しつづけるというロングヒットで「大乱闘スマッシュブラザーズ」に抜かれるまで日本記録だったということです。ロングヒットであるとは知っていましたが、そこまでのものとは今回初めてわかりました。
また当時ライバルとして雑誌で取り上げられることの多かった元日本ファルコムの木屋さんとの関係についてお伺いしたところ、「強敵」と書いて「友」と読む関係とのお答え。やはり意識されていたようです。

MSXでの開発やクリスタルソフトとの合併、コンシューマーでの海外ローカライズ作品とそれにまつわるお話も非常に興味深いものでした。
「ライズオブザロボッツ」開発でイギリスを訪れたときのお話は爆笑です。迎えに来てくれた女性の運転の話し、プログラマーがドラムを叩いていたこと、などなど。

そしてT&E時代最後の作品となった「ヴァーチャルハイドライド」。実写撮影の苦労や王女役の方のこと、バラリスや主人公のダメージ時、ゾンビなどの音声は実は内藤さんご本人だということなど、知らないことだらけでした。開発には非常に苦労されたようで、開発終了後に潰瘍性大腸炎になってしまったとのこと。私が本当に好きな作品なので、ここで多めに時間を取ってしまい反省しています。

 

ヴァーチャルハイドライドの後はT&Eソフトから独立、起業されたEOイマジネーションでのお話をお伺いしました。出世によって開発現場への関わりが薄くなっていったことが独立の理由ということですが、社長としての苦労は想像以上であったようです。
PCエンジン開発環境キット「でべろ」や「GAME BASIC for SEGASATURN」で開発された、雑誌掲載のサンプルゲームについてお伺いしました。
ゲームを作成しプログラム解説記事を書いたにもかかわらずギャラを貰ってないというお話でした。あれだけ詳細な解説があってノーギャラは辛いですね。

EOイマジネーションは「アサンシア~魔杖の呪縛~」「ドラゴンマネー」といった作品を発表した後にクローズし、縁あってコンピューター総合学園HAL名古屋校の教師となられたというお話も。
当時の生徒だった方より人気の教師だったと伺っておりましたが、ゲーム開発から社長まで努めた経験は多くの方へ良い指導となっていたと思います。
一方で、お仕事はかなりの激務であったようで、朝6時から帰宅は24時という日々だったそうです。

教師として4年半勤めた後は株式会社ディープに入社され、ゴルフゲームやゴルフシミュレーターの制作に携わったというお話もしていただきました。
それまでゴルフは嫌いだったようですが、シミュレーター制作のためにプレイしてみたところからゴルフに目覚め、現在のベストスコアは90だそうです。
BINGO BREAK ONLINEなどのオンラインゲーム開発の後、会社はスパイクソフトの開発部へ移行したため、内藤さんも所属が変更し、巻き込まれる形で履歴書が長くなっていったとのこと。
当日、この講演会の会場にも駆けつけてくださったスパイク・チュンソフト取締役会長の中村光一さんとはそれまで面識がなく、忘年会で初めてお会いしたということでした。内藤さんにとって中村光一さんは雲の上の存在であったということです。
コンシューマーゲームへの復帰となった「不思議のダンジョン 風来のシレン4plus 神の眼と悪魔のヘソ」開発の苦労をお話いただきました。Twitter連携はこのゲームが走りであったということで、いつも人より早いという内藤さん。こういう先見の明はご顕在です。

 

2014年からはM2に移籍され、このときの経緯などもお伺いしました。面接に訪問した際、ハイドライド作成のときの話をしていたら採用されたということ。やっぱりレジェンドです。
移籍後はWiiUのバーチャルコンソール ゲームボーイアドバンス タイトル開発ディレクターを務められ、そしてPS4/3/steam「恋姫†演武」 開発ディレクターで苦労されたお話は、会場にいらっしゃったM2社長の堀井さんからもお答えをいただいたりしつつ裏話をしていただきました。M2はスーパープログラマーが揃っていることで有名ですが、その中でも本当にスーパーな方がいらっしゃいます。

最後に、今回プレイアブルデモ展示させて頂いた「New CITY HERO」のお話をお聞きしました。
もう1〜2ヶ月で完成のようですが、どの様に公開できるか検討中ということでした。本当に凄い作品なので日の目を見ることを期待しております。
また思いがけない発表として、次回作はP6でハイドライド2(のようなもの)を作ると宣言されました。こちらも期待です。(その次も決まっていて、ぴ…)

最後に現役でゲーム開発に携わっておられる内藤さんに「内藤さんにとってのゲーム制作とは?」とお伺いしたところ、「人生かな。目と指が動く限りは80才、90才の妖怪になってもゲームを作ります」という嬉しいお言葉をいただき、終了となりました。内藤さんの温かいお人柄もあって、終始笑いの絶えないトークで講演を終了させていただくことが出来ました。

 

終了後は会場を移動して、サポーターの方々と懇親会。
理事長ルドンの乾杯の声でスタートです。
こちらも多くの方がご参加くださり、これからのNPOの活動につながるようなお話をさせていただくこともでき、NPOとしても日頃ご支援くださっている皆さまと交流を深めることが出来ました。
内藤さんはお酒も入って、講演会では話し難かったようなこともポロポロと。
気づけばすっかり日も暮れて、すこし涼しくなったあたりで解散となりました。

今回のイベントにご来場、ご参加くださった多くの方々へ感謝いたします。
また、動体展示のためにお力添えくださいました「80mk2 会」の皆さまには、改めまして深く御礼申し上げます。
ゲーム保存協会はこれからもゲーム保存活動や研究のみならず、講演などを通じてゲームの歴史を掘り起こし、伝えていく活動も精力的に開催させていただきたいと考えております。こうした取り組みはサポーターの皆さまからのご支援により実現するものです。日頃ゲーム保存協会の活動にご支援ご協力いただいている皆さまに、協会員一同、深く感謝いたします。そして、これからもこうした活動を継続できるよう、真摯に取り組んでまいります。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

アーカイブ公開

NPO法人ゲーム保存協会「ゲーム・アーカイブ」11月25日より公開

公共性の高い取り組みを目指して

2011年に設立したNPO法人ゲーム保存協会は、これまで、日本の貴重なゲーム資料を保存するため、公共性を保ち中立的な立場から活動を続けてきました。2015年には、所蔵する雑誌・書籍のうち、国会図書館などにも収蔵がない資料を含む2200冊を一般公開し、現在も資料を必要とする一般の利用者が無料で閲覧できる資料室として本部の一部を開放しています。

そして2017年、いよいよNPO法人ゲーム保存協会のゲームソフト・アーカイブの公開が決定しました。今週11月25日から、一般の利用者の受け入れを開始します。

ゲームはともすると商品として扱われ、利益と離れた真面目な研究や調査のために資料を閲覧したい人たちがいても、一般図書館や博物館に収蔵されていないなどの理由から、無料で資料を見られる場所がほとんどありません。ゲームの歴史を残すには、私利私欲から離れてゲーム保存の未来のために何が出来るか考え、行動する必要があります。NPO法人ゲーム保存協会は以前から、団体が所蔵するゲーム・ソフトを、それを必要とする多くの人と共有したいと考えてきました。

 

アーカイブの意義

現在、日本の各市町村には一般市民が必要に応じ自由に図書を閲覧できる図書館があります。古今東西の名画や歴史資料を展示する美術館や博物館では、多くの人に自由に資料を見てもらえるよう展示が行われ、こうした文化の共有が、次世代の文化活動を活性化し豊かな未来を作っていくと言われています。図書館や博物館のように、資料を蓄積し展示や貸し出しができるよう管理する機関を、アーカイブと呼びます。この社会に活きる全ての人が必要な時に必要な資料を手に取れることは、平等な社会を作るためにとても重要なことですが、ゲームに関しては、これまでそうしたアーカイブが存在しませんでした。レトロ・ゲームとも呼ばれる古いビデオ・ゲーム資料はオークションで高値で売られ、一般の図書館や資料館には所蔵がありません。これから発展していくであろうゲームの歴史研究や、これから作品を作る若いクリエイターを育てるには、一般の利用者が限られた予算でもゲーム資料を見ることのできる環境作りが大切です。

 

ゲーム保存協会の公開資料

誰もが活用できるゲーム・アーカイブを作る。これはNPO法人ゲーム保存協会の長年の夢でした。ただでさえ資料数が多く収集も修復も困難なゲームのアーカイブは、様々な困難を伴う壮大な計画ですが、今回はその記念すべき第一歩として、NPO法人本部にあるアーカイブの一部を公開します。

世界でもゲーム・ソフトを一般公開しているアーカイブ機関は非常に少なく、日本ではNPO法人ゲーム保存協会が初のアーカイブ機関となります。また、今回公開するのは80年代を中心に日本独自の発展を遂げたPCゲームソフトのアーカイブで、日本のPCソフトを閲覧可能なアーカイブは、NPO法人ゲーム保存協会が世界で唯一となります。

公開するのは本部アーカイブ室にある2万本以上の資料のうち、一般公開の準備ができている6300本のソフト。20世紀のPCゲームの歴史における重要な資料の数々が含まれています。

閲覧可能なアーカイブのリスト(ゲーム)
閲覧可能なアーカイブのリスト(雑誌)

 書斎

これからにつながる取り組み

今回の公開は、あくまでも最初の一歩でしかありません。アーカイブには今後も閲覧可能な資料を追加していく予定です。さらにこうした貴重な資料を劣化消失から守るための保存作業も続けていきます。このアーカイブをきっかけに、ゲーム研究のフィールドが広がること、そして、このアーカイブを活用して、次世代のクリエイティブな動きが起こることを願っています。今まで、手に取ってみることのできなかった古いゲームソフトを、実際に見たり、遊んだりできる活きたアーカイブとして、意義ある取り組みを続けていきたいと思いますので、この活動に意味があると感じる方には、ぜひNPO法人ゲーム保存協会のサポーターとして継続的なご支援ご協力をお願いいたします。

 

アーカイブの利用について

今回公開するNPO法人ゲーム保存協会のゲーム・アーカイブは、磁気媒体のソフトや壊れやすいハード機器など脆弱な資料を扱う専門のアーカイブです。多くの利用者に自由に資料を閲覧いただくことが理想ではありますが、資料の性質上、また管理運営の問題から、現在はいくつか利用の制限を設けています。

まず、資料の安全性を守るためにも、アーカイブを利用される方には出来る限り、NPO法人ゲーム保存協会へのサポーター登録をお願いしております。

次に、利用時には資料の閲覧理由と閲覧資料名を明示いただきます。特に閲覧理由には、記事執筆のための調査、論文資料としてなど、最終的に公開・発表されるプロジェクトをお尋ねしております。著作権など権利をお持ちの方からの各種お問い合わせもお受付けいたします。

実際の資料閲覧は、予約フォームからいくつか必要事項を送信いただいたのち、アーカイブ担当者との日程調整をお願いしております。その後、決められた日時に世田谷区の本部にて資料を閲覧いただきます。資料閲覧時に必要なハードウェアがある場合は、本部にてご用意いたします。

アーカイブ利用の予約フォーム

フロッピー 

なぜサポーターが必要なのか

世界初となるPCソフトのアーカイブは、国の図書館でも博物館でもなく、一般のNPO法人が運営しています。最近になってようやく、文化庁が主体となってゲームを文化として認めるよう動き出してはおりますが、ゲーム作品の閲覧ができる国立のアーカイブが実現するまでにはまだ長い時間がかかるでしょう。ゲームの場合、国のアーカイブ建設を待っていては、資料が散逸し収集は不可能となり、劣化が原因で貴重なデータも消滅してしまいます。

NPO法人ゲーム保存協会は、そうした悲劇から一つでも多くの資料を救い、一刻も早くゲームの歴史研究や価値の見直しといった文化活動が広がってほしいと考えています。そのために、NPOとして、アーカイブを開きました。

開かれたアーカイブの維持にはお金がかかります。日常的かつ恒常的に続く資料の管理、保存活動、予約者の受付など、ボランティアの労力だけでは賄えない部分も多々あります。公平な運営方針のもと、自由に資料閲覧ができる開かれたアーカイブを守るため、サポーターの皆様からのご支援が必要なのです。

サポーター登録することは、単にプロジェクトに資金的援助を行うというだけではありません。サポーター登録は、アーカイブを継続してほしいと願う声を送ることです。私たちは、いただいたご支援を、今後も資料を保存しアーカイブを大きく育ててほしいという皆さんの声として受け止め、真摯に取り組みを続けていきます。

まだご支援ご参加いただいていない方、ぜひご登録をお願いいたします。

サポーター登録へのページ

ぱのらま島

特別講演「伝説のゲームクリエイターに聞く」第2弾を終えて

2017年7月22日にマイステイズ御茶ノ水コンファレンスセンターにてゲーム保存協会主催による講演イベントを開催しました。
毎年7月に開催しておりますイベントですが、活動開始5周年となった昨年は日高徹さんをお迎えして講演を開催し、大変好評いただきました。
そこで今年もゲストを迎えての講演を企画させていただきました。メンバーやサポーターの方々から広がったコネクションによって、今回は3人ものゲストをお迎えすることが出来ました。

ザナドゥ

ザナドゥ(シャープX1版)

「天才プログラマー」「スタープログラマー」の名をほしいままにした元日本ファルコムの木屋善夫さん、同じく元日本ファルコムで数々の名作グラフィックを手がけて来られた山根ともおさん、そしてお二人をよくご存知のログイン元編集長 新井創士さん(ほえほえ新井さん)という3名の豪華ゲストの方々です。

当日は午前に正会員のみによる総会を開催し、午後よりイベントを開催しました。講演に先立って13時より「ファルコム黎明期―初期のゲームソフトを振り返る―」展を行いました。資料展示室にて協会メンバーが所蔵している日本ファルコム作品の貴重なバッケージを説明とあわせて展示させていただきました。初作ギャラクティックウォーズ1は非情にレアな初期版の紙パッケージ展示もあり、資料価値はかなり高い展示であったと自負しております。
また展示室にはPC-8801を2台をセッティングし、木屋さんの処女作ギャラクティックウォーズ1と2作目のぱのらま島をプレイできるように用意させていただき、多くの方に楽しんで頂くことができました。
講演は展示会場と同フロアーにあります会議室を利用し、100名分のお席を用意させていただきましたが、事前の予約で満席となる盛況ぶりでした。

バードランド&スーパー四人麻雀

黎明期のゲームソフト

14時からNPOの2016年度年次報告を正会員の日下よりプレゼンテーションさせていただきました。レトロPCの修理・メンテナンス資料をまとめるというプロジェクトの説明を行った際に「修理が必要なレトロPCを持っていますか?」という質問を来場者へさせていただいたところ7割近くの方が挙手されておられましたことは、NPOとしてのプロジェクトを進める必要性を強く感じました。
年次報告を終えて、続けて3名のゲストにご登壇いただき、ゲーム保存協会特別講演「伝説のゲームクリエイターに聞く」第2弾と題しまして、木屋さん、山根さんが日本ファルコムに在籍しておられた当時のお話を中心にご講演いただきました。
はじめに木屋さんの歴史を振り返る形でお話をお伺いさせていただきました。
PCでプログラミングを始める前のころのお話から、当時の日本ファルコムの環境や開発環境などお答え頂きました。講演で印象が強かったお言葉は「アセンブラが一番簡単な言語でしょ?」でした。やはり天才プログラマーです。
山根さんにも同じく日本ファルコム入社以前の活動からお伺いし、日本ファルコムでのグラフィック開発環境やチーム毎のカラーの違いなどについて興味深いお話を頂きました。「下絵などはなく、いきなりドットを打っていた」という作風で様々なキャラクターを作成されていたことに驚きました。
お二人にお話いただく中、新井さんからは雑誌のランキングに関するお話や他紙との関係、日本ファルコムの取材に関してなど、当時の雑誌編集を行っていた方でしかわからないようなエピソードを教えて頂きました。特に「ファルコムは取材の対応も良く、発売延期がないメーカーだった」というお話は日本ファルコムの姿勢を伺えるお言葉でした。

ギャラクティックウォーズ1 日本ファルコム展示会

一時間ほどの講演の後、小休憩を挟み、続いて木屋さんと山根さんが作成された個別のゲームソフトについてのお話をお伺いしました。
ギャラクティックウォーズ1から始めさせて頂き、ぱのらま島、ドラゴンスレイヤー、ザナドゥ、ソーサリアン、ロードモナーク、風の伝説ザナドゥなどの木屋さんの作品だけではなく、太陽の神殿、イース、スタートレーダーといった山根さんがグラフィックや原案に携わった作品についても、制作にまつわる思い出や当時の苦労、雑誌での評価などについてもお話いただきました。
一部は黒歴史となっているような部分、80年代であったことによる緩さなどのお話もお伺いできました。自分としては、もうすこし突っ込んだ内容についてもお聞きしたかったのですが、お二人の作品が膨大なために時間的に割愛せざるを得ないことが多く、消化不良ぎみでした。
司会進行の不手際で予定公演時間をオーバーしてしまいましたこと、最後の方は急いで進行してしまったことを当日ご参加いただいた方々にお詫びします。
最後に「お二人にとってのゲーム制作とは?」とお伺いしたところ、山根さんからは「楽しんでくれる人のためにやっていること」。そして木屋さんからは「趣味」というお答えでした。

コンファレンスルーム

秋葉原近辺のコンファレンスルーム

講演終了後は会場を移して、サポーターの方々とカクテルパーティで二次会を行いました。
こちらの席でも講演ではお話いただけなかったような話題も飛び出し、新井さんからは「当時の雑誌編集者を集めて話をすることなんかも面白いかも」というような、今後のイベントへ繋がるようなお話もいただけました。
こちらで1時間半ほど歓談の後、NPO正会員を中心としたメンバーで居酒屋にて打ち上げを行い、解散となりました。
非常に充実したイベントで、司会ながらに楽しむことが出来た1日でした。
今回のイベントへご来場、参加くださった多くの方々へ感謝いたします。
ゲーム保存協会はゲーム保存活動や研究のみならず、講演などを通じてゲームの歴史を掘り起こし、伝えていく活動も精力的に開催させていただきたいと考えております。こうした取り組みはサポーターの皆さまからのご支援により実現するものです。ゲーム保存協会の活動にご支援ご協力いただいている皆さまには、協会員一同、深く感謝いたします。そして、これからもこうした取り組みを継続できるよう、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

カクテルパーティ

カクテルパーティ

事前に頂いた質問は可能な限り講演中にお伺いしましたが、いくつか漏れがありました。後日、ご回答をいただきましたので、質問と回答を記載させていただきます。

木屋さん

木屋さんへの質問

■なぜX1用テープ版ザナドゥを販売することになったのでしょうか?テープ版開発時に苦労したことはありますか?
【答え】
ハードウェアへのアクセス部分(当時BIOSと呼んでいました)が完全に分離されていましたのでそれを活かすことにより比較的簡単に対応できたので挑戦してみました。
実際、数週間で動かすことができたのですが、やはりテープは遅いwで、その調整に結構手間取ったと思います。

■家庭用ゲーム機での開発で、 パソコン向けとは違ったご苦労などのエピソードはございますか。(特に「ドラゴンスレイヤー」のスーパーカセットビジョン版・ ゲームボーイ版に興味がありますが、 これらに直接関わられていないのであれば申し訳ありません)
【答え】
ドラゴンスレイヤーのSCVもGBも関わっておりません。
PC用の開発もゲーム専用機も当時はICEなど高価な機械を使用しておりましたので特に違いは感じませんでした。
ただ、生産ロットの単位が大きいのでバグを仕込んでしまうと損害が大きく、そのへんは慎重にならざるを得ませんでした。

■月刊BEEPに「ぱのらま島では技術が追い付かず、 やりたいことがほとんどできなかった」 とインタビューに答えておられましたが、実際にプログラム技術が追い付けば、 どんなアイデアを盛り込んだゲームを完成させたかったんでしょうか?
【答え】
覚えてないです。

■当時のクリエイティブの根源と、今のゲームクリエイティブにアドバイスしたい事があればぜひお聞きしたいです。
【答え】
そんな偉そうなものはないです。
ただ、仕事としてとか、知名度を上げたいとか、稼ぎたいとかではなく
自分が作りたいものを作っていただけですので…

山根さん

山根さんへの質問

■当時日本ファルコムで3チームでの開発に携わっておられますが、チームの制作環境の違いや戸惑ったこと、印象に残っているエピソードなどありましたら教えていただけますと幸いです。
【答え】
ファルコムに入って初めて組んだのが木屋さんになりますが、第一印象は『おっかない人』でした。
他人を拒絶してるヤンキーのイメージが近いですね。
当初は会話は必要最小限に限られ、私的な話はそれ程していなかったと思います。
トミオービルに移った頃は結構フランクになっていたようにも思いますが、私的には最後までおっかない人の印象は無くなりませんでした。
木屋さんとのエピソードで語れるようなもの(?)は、遅刻貯金箱、倉庫冷房攻め、グラディウス暴行事件以外ではすぐ思いつくものはありません。
また、これは最近になって再会した音楽の阿部さんから聞いた話ですが、「とにかく山根さんの木屋さんからの扱いが見るに堪えないほど酷く」て、私の事を30年たっても思い出せたそうです。
たしか木屋さんの机で勝手にファミコンかなんかを遊んでいたら物凄い突っ込みを食らったとか、そんな状況だったかと思いますが。

木屋さんに押さえつけられて自由な製作が出来なかった(と当時は考えた)私は、新たに入社してきた橋本さんと組めば自由に作れると思って、ロマンシアの後に橋本さんとイースを作る事になる訳です。
橋本さんと初めて一緒に仕事をしたのは太陽の神殿になりますが、これはアステカの二作目として基本的にオリジナルとは捉えてませんでしたから、(当時の私は)自由に作っていたとは考えなかったのですね。
橋本さんはスタッフの言う事を良く聞いてくれ、いろいろと盛り込もうとしてくれました。故にスケジュール的には問題となる事もあったりしましたが。
絵のデータやメモリ領域もデザイナーの要望をなるべく叶えるべく試行錯誤してくれました事は、当時からものすごく感謝していました。
橋本さんはご自宅にスタッフを招いてゲームで遊ぶやら、ビデオを楽しむやら、とてもフレンドリーなお付き合いをさせてくれました。
カトービルの頃(Ys開発中か?)、MSX2のコナミの新作が出る度に会社に2人で居残って徹夜してエンディングまでPLAYしたものです。んな事してるからYsが1パッケージに入らなくなってしまった気もしますが。

富さんはゼネラルプロダクツ上がりという事もあって、私にとっては3人の中で最も考えを伝え易かった人でした。
ですが、解かっていた上でそれをストレートにネタにする事を憚らない大阪芸人でもありましたので、面倒くせぇと感じる事も多々あったりもしました。
お互い結婚していなかった事もあって、カトービルの近くにある居酒屋一休(今も未だある)でよくお酒を一緒して愚痴を言い合っていたりしましたね。
当時モデムが一般人でも入手できる程度に普及し始めていて、1200ボーレートだったかその程度のモデムを使って、都内のBBSを介してグラフィックデータを送受信してみたりとかもしました。
物凄い長い時間「ピ-ガ-」して、NTTにお金を払ってまで、しょぼい白黒のリボンの絵なんかを受け取ったりしてみたり。
純粋なグラフィックの転送は当時のハードスペックでは無理があると解ってましたけど、試してみたい気持ちが抑えきれなかったりしたもので。

開発環境の違いで戸惑う事はほぼ無かったです。
木屋さんのツールは私にとってはデファクトスタンダードみたいなものでしたし、他のチームでも要望を出せばそれなりに応えてくれましたから。
ですが、X1ザナドゥテープ版のPCG、MSX2イース1のタイトルグラフィックは対応するツールを用意する時間も(おそらく予算も)なかったので、メーカーが本体にオマケで付けるエディターを使う事になって閉口しました。
特にシャープのPCGエディターは、マウス環境に慣れ切って堕落していた事もあってテンキー操作等に暴れたくなりました。

新井さん

新井さんへの質問

■ザナドゥの隠しネームなど、解析しないと分からないような隠しフィーチャーはファルコムさんやメーカーから情報提供があったのでしょうか、それともユーザーやスタッフの解析だけだったのでしょうか?
【答え】
ザナドゥの隠しネームですが、編集部で解析はしていません。読者からの投稿にあったかもしれませんが、掲載した記憶はありません(記憶がないだけで、掲載しているかもしれませんが。)
日本ファルコムさんからは、いくつかの隠しネームを提供いただきました。画面写真を撮るためにパラメータMAXの隠しネームを使った記憶はありますが、隠しネームの一覧を掲載した覚えはないです。
アイテムショップなどの隠しフィーチャーはファルコムから聞いた情報ではないです。新井の部下がザナドゥをプレイして、たまたま見つけているとか、読者からの投稿を検証していたことはあったかもしれません。

ゲーム保存協会 副理事長 福田