名ゲームクリエイター鈴木理香さんがゲーム保存協会の名誉会員に加わりました

この度、ゲーム保存協会では、80年代から多くのゲーム開発に携わり、今もゲーム業界で活躍している鈴木理香さんを名誉会員としてお迎えすることになりましたので、お知らせします。

名誉会員とは

ゲーム保存協会では、ゲームソフトやハードウェア、雑誌や書籍などを収集するだけでなく、こうしたものを作っていた当時の第一線のクリエイターの皆さんとの輪も大切にしています。人がいなければ文化は生まれません。名作ゲームの裏には、必ず、一人一人のヒューマンドラマがあるのです。人の足跡を記録し、証言を記録することも大切なゲーム保存活動である、との思いから生まれたのが、ゲーム保存協会の「名誉会員」制度です。

鈴木理香さんについて

80年代という黎明期の国産PCゲーム制作の世界に、当時は少数であった女性のゲームデザイナーとして飛び込み、福岡にて株式会社リバーヒルソフトを岡崎一博氏とともに創業。同社の企画、シナリオを担当し、ゲーム制作をされました。 その後、「アナザーコード」「ウィッシュルーム」など数多くのアドベンチャーゲームの開発を経て、現在も 株式会社ベルウッド 代表取締役として意欲的に活動をされています。

当協会制作のドキュメンタリー「芸夢 [gei・mɯ](ゲイム)」にご出演いただくご縁があり、ドキュメンタリー内では外自身の処女作発表から「J.B.ハロルドシリーズ」藤堂龍之介探偵日記「1920シリーズ」など、ミステリーアドベンチャーを手掛けるに至った経緯や苦労した点など、ご自身が携わった作品について様々な思いをお伺いしました。
今回改めて当協会のゲームを文化として次世代に残すという活動方針への賛同をいただき、この度、名誉会員として当協会への参加をご快諾いただいたことに感謝申し上げます。

ゲーム保存協会を応援する鈴木理香さんからのメッセージや略歴は、こちらのページでご確認いただけます。

名誉会員 鈴木理香

 

ドキュメンタリー芸夢 [gei・mɯ](ゲイム)
「鈴木理香 ~日本のミステリーゲームの先駆者〜」公開中

作者側でのゲームの歴史を残すことを目的として、ゲーム保存協会では当時のゲームクリエイターにインタビューを行ったドキュメンタリー映像を制作しています。第二弾「鈴木理香 ~日本のミステリーゲームの先駆者〜」を公開しておりますので、ぜひご視聴ください。

ドキュメンタリー映像ご視聴はこちら


ゲーム文化の歴史に貢献された方からの応援は、活動を続ける私たちにとって、とても心強いものです。
未来にゲームの歴史をしっかりと伝えていくために、一つでも多くの資料を残し、一人でも多くの方と協力して取り組みたいと考えているゲーム保存協会。取り組みへの参加方法は様々です。今後も名誉会員に参加いただける方が増えるよう、透明性を保った団体運営と真摯な活動展開を維持してまいります。

ぜひ今後のゲーム保存協会の取り組みへのご支援ご協力をよろしくお願いいたします。

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イース・プロトタイプの研究~開発誕生秘話~

はじめに

 このたびゲーム保存協会では、1987年に日本ファルコムより発売された『イース(PC-8801mkⅡSR)』の開発版フロッピーディスクの保存を行いました。このディスクは、元ハドソンでPCエンジン版『イースI・II』の移植スタッフのひとりだった長山豊氏が所持されていたもので、日本ファルコムより開発用の資料として提供されたディスクのコピーであると思われます。日本ファルコム社からユーザーサポート交換用のフロッピーディスク一式を譲り受けて以来の、貴重な文化遺産の寄贈となりました。

 

開発版ディスクのチェック

 保存したディスクの内容を確認してみたところ、この開発版は電波新聞社から1987年に発刊された山下章氏著『チャレンジ!アドベンチャー&ロールプレイングIII』(以後、”チャレアベ”)のイースの記事内で紹介された「初期プロト版」と同一のものと見受けられました。当たり判定を任意で変更できる機能(壁を通り抜けることが可能)と、所持GOLDと経験値が自由に増やせる機能があり、主人公の位置(マップナンバーやX,Y、どの地形に立っているか)が分かる数値も表記もされていて、開発デバッグのために様々なチェックが出来るようになっていることがわかります。“チャレアベ”の記事では神殿最初のボス戦あたりまでしか触れられていませんでしたが、今回一通り動かしてみたところ神殿から廃坑、そして塔への道まで、いわゆる“Disk A”の部分はストーリーに沿ってプレイすることが可能でした。草原で金の台座を拾ってこれれば、取引所で買ったサファイヤを酒場の持ち主に返してあげるイベントもこの時点で既に存在しており、村長は銀の鈴を盗まれていて、神殿の地下牢には女の子が囚われています。廃坑で入手するアイテムで大樹と会話が出来て、イースの本を3冊集めれば塔への道が開かれます。主だったアイテムの入手ポイントも同じであり、製品版との違いがあるとすれば、廃坑で“めがね”が手に入ることと、廃坑最奥の“間”に白骨死体があって、そこから指輪を入手するという展開くらいです。ゲームの基本的な部分は概ね出来上がっている印象ですが、街は城壁に囲まれておらず小さな村のような雰囲気であり、草原の橋や大樹のグラフィックは簡易な印象で、村から丘に登る道は分岐があったり、盗賊のアジトには吊り橋がかかっていなかったりします。また、画面レイアウト面を見ても、ウィンドウを囲う意匠の“蔦”の這い方が違ったり、敵の体力ゲージ表示がなく、会話時等のフォントもやや見にくかったりと、細かい点を見ていくと製品版との違いが数多くあることもわかります。

 

盗賊のアジト

神殿地下

廃坑の最奥の間で白骨死体を発見



製品版との違い…名称

 “チャレアベ”の記事でも紹介されていますが、レア、フィーナ、サラ、ゴーバン、ドギなどの人名、ゼピック村、ダームの塔といった地名、シルバー系の装備など、ゲームで重要な名称のほとんどが製品版では変更されており、ゲームの完成までに検討され続け変更されていったことが伺えます。

・変更のあった名称の一覧

家・店
プロトタイプ版 製品版
ピルクハイマーのさかば オーマンの さかば
うらないのみせ”ファレル” うらないのみせ ”サラ”
とりひきじょ”ペル” とりひきじょ ”ピム”
ぼうぐのみせ”グライアス” ぼうぐの みせ ”ディオス”
おばばのいえ ジェバ の いえ

 

装備品
プロトタイプ版 製品版
JAP’S-BLADE TALWARL
PLATINUM-SWORD SILVER-SWORD
LARGE-SHIELD MIDDLE-SHIELD
PLATINUM-SHIELD LARGE-SHIELD
MYSTIC-SHIELD SILVER-SHIELD
PLATINUM-ARMOR REFLEX
MYSTIC-ARMOR SILVER-ARMOR

 

リング
プロトタイプ版 製品版
RING OF POWER POWER-RING
RING OF MAIL RING-MAIL
J.D.RING TIMER-RING
RING OF HEALING HEAL-RING
RING OF MATERO EVIL-RING

 

消費アイテム
プロトタイプ版 製品版
POTION OF HEAL HEAL-POTION
WING OF PEGASUS WING
MIRROR OF MAGIC MIRROR

 

その他アイテム
プロトタイプ版 製品版
ダイアモンド ルビー
あかい かぎ ぞうげ の かぎ
きいろい かぎ だいりせき の かぎ
あおい かぎ ダーム の かぎ
ラウラ の たね ロダ の たね

 

人名
プロトタイプ版 製品版
コルベリアス レア
テナ フィーナ
ファックス ゴーバン
ドグ ドギ
ジャルタ あかげの ドニス
きんにくしつの おとこ ギャレック

 

地名
プロトタイプ版 製品版
セネカむら ゼピックむら
たんこう はいこう
あくまの とう ダーム の とう



製品版との違い…グラフィック

 街を歩く人や敵のグラフィックも名称と同様に異なっているキャラがほとんどです。どこか神秘的な雰囲気のあったイースですが、プロト版では草原に出るとニワトリやアヒルのような敵キャラが歩き回っていて、牧歌的な雰囲気さえ感じさせます。神殿と廃坑のボスキャラは動きこそ製品版と変わりませんが、全く同じグラフィックを使っていてまだ作成中であることが伺えます。後々のシリーズでは“赤毛のアドル”として完全に定着している主人公ですが、プロト版では黒髪キャラクターで、この点は決定的な違いともいえます。なお、黒髪アドルは当時の雑誌に開発版の写真として載っていたこともあるため、見覚えのある方も多いことでしょう。

主人公/テナ

街・村の人

草原

山道

神殿地下

神殿地下奥

廃坑1層

廃坑2層

廃坑3層

神殿ボス

神殿地下ボス

廃坑ボス


アイテムはほぼ出来上がっているようにも見えますが、ダイヤモンドがルビーに変わったように全く違うアイテムに変更されていたり、一見すると同じグラフィックに見えるようなアイテムであってもドット単位で見ると描き直されているものも少なくありません。また、イースの本は”色”が入れ替わっていたりします。ちなみに、アイテム入手時には文字のみでグラフィックが表示されないため、INVENTORYを開かないとどんなグラフィックであるかは確認できません。

 家・店でのグラフィックは完成版と比べると違いが大きく、一見製品版と同じように見える部分でも背景が描き込まれていなかったり陰影がないなど、まだまだ未完成であることがわかります。占い師がいなくなった後や、地下牢から女の子を救った後のグラフィックなどはまだ描かれておらず、そのシーンのグラフィックはバグったようにまともに表示されなくなってしまいます。完成までにかなり手直しされていたことが伺えます。



製品版との違い…人々のセリフ・音楽

 街の人々のセリフは、製品版と全く変わらないものやほぼ同じものが多く、あるいは製品版ではなくなってしまったものも見受けられました。このあたりは6~7割程度は出来上がっている印象ですが、物語の根幹ともいえる“イースの本”はほぼ書き直されていました。

・女の子が保護された「おばばのいえ」でイースの本を読んでもらう



 また音楽面でも、サントラCDに収録された未使用曲や、後に某ゲームに使われる曲が流れていたりします。製品版ではボスを倒したときの効果音は“吠える”ような音でしたが、開発版では“断末魔”のような不快とも感じる効果音であり、神殿地下への扉が開き終わった効果音がない、WINGを使った時の効果がないなど、印象的な効果音は後になって作られたことがわかりました。ちなみに、宝箱以外でアイテムを入手した場合はあの耳に残る音楽は鳴りませんでした。



・変更のあった音楽一覧

音楽
使用場所 プロトタイプ版 製品版
Epilogue(未使用曲) FOUNTAIN OF LOVE
CHURCH(未使用曲) TEARS OF SYLPH
CHURCH(未使用曲) THE SYONIN
神殿地下 DREAMING(未使用曲) PALACE OF DESTRUCTION

 

最後に

 イースの『製品版』と『プロトタイプ版』とを比較してみることで、ゲーム開発の過程でどのような部分が先に作られ、どういった点に検討が加えられていったのか、どのように詰めていったのかの一部を垣間見ることが出来ました。こういった未公開の開発時のバージョンを調べることが出来るということは、ゲームの歴史を知る上で大変貴重な資料といえます。もし“埋もれた歴史”をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ゲーム保存協会にご一報いただけたら幸いです。

ゲーム保存協会 金澤剛志

 

※本記事は「2019年7月発行 GPS News vol.8」に掲載された「イース・プロトタイプの研究」記事の完全版として公開させていただきました。

【GPS Newsバックナンバー】ソフトバンクの歴史をたどって

【2020年5月発行 GPS News vol.10掲載】
※本記事はゲーム保存協会の過去の活動を知ってもらうことを目的とし、当時そのままの内容で掲載しています。


皆さんはソフトバンクというと何をイメージしますか?携帯電話の会社、あるいは人によってはYahoo!を思い浮かべる方もいるかもしれません。ですが、白いワンコのCMでおなじみ現在のソフトバンクができる前、80年代前半のソフトバンクをご存知の方はどのくらいいらっしゃるでしょう。ソフトバンクグループの現CEO孫正義さんの足跡と合わせて歴史をたどっていくと、意外なことにソフトバンクはゲームの世界と密接な関係を持っていることがわかります。

「ソフト」「バンク」はもともと二つの単語。ソフトとはSoftwareのことですが、もともとソフトバンクは、バンク(Bank)、つまり金庫のように一か所にたくさんのソフトウェアを集める会社というイメージがありました。
インベーダーの大ブームで、ゲームが一躍注目を集めた70年代後半から80年代、孫さんはアメリカでビジネスを展開し成功していました。当時のアメリカは日本より一足早くパーソナルコンピューターが広まっており、会社でも家庭でも、PC用ソフトウェアが良く売れました。
当時、アメリカではソフトの開発はもちろんですが、それ以上に、このソフトの流通を手掛ける会社が大きな利益を生むビジネスとして成功しており、特に企業向けのビジネス・ソフトの売り込みや流通には、日本でも今後ニーズがあると感じていたのでしょう。帰国した孫さんは、早速、日本にはまだ存在していなかったソフトの流通業を行う会社を設立、株式会社日本ソフトバンクが誕生しました。

現在のソフトバンク社のHPをみると社歴から80年代の最初のソフトバンク設立の話はなぜか抹消されていますが、ソフトとバンクの社名も、そもそもソフトウェアを扱う会社だったことを見ると納得で、当時はソフトバンク社が、全国のマイコンショップにソフトウェアを流通させ、企業にはビジネスソフトのカタログを使い営業を行うなど、事業をどんどん拡げていったのです。

アメリカで一足早く始まったパーソナルコンピューターの波は80年代以降、日本でも一気に広がっていきます。特に日本では、先のインベーダーブームの記憶も新しく、マイコンブームがゲームと結びついていきます。たくさんの人がコンピューターで何ができるのか学ぶためにプログラミングに挑戦し、中でも「試しにゲームを作ってみる」という人がたくさんいました。新しいことを学ぶなら、楽しいことをしたい、そんな気持ちで一般の人がゲームを自作して、出来の良いものは近所のマイコンショップに持ち込んで売り込むこともありました。ソフトバンク社は、そんなゲームの市場規模拡大の兆しを敏感に察知。ビジネスソフトだけでなく、ゲームソフトにも力を入れ開拓していったのです。
ソフトバンクはゲームを開発する会社ではありません。あくまでも流通販売がメインなので、ソフトを作っている会社とタッグを組む必要があります。例えばハドソンです。

北海道に本社を置くハドソンは、80年代当時すでにものすごい数のゲームソフトを出していました。おそらく当時のゲーム業界の中で、出していたソフトの数だけで言えば首位、ソフトバンク社が組む相手としては申し分なかったのでしょう。当時、ハドソンが出していた『ソフトメディア』という雑誌には、ソフトバンクとハドソンの提携を示すこんなアナウンスが出ています。

雑誌「ソフトメディア」(1981年12月)に掲載された、ハドソンとの流通提携を示す広告

需要が高く利益も大きかったビジネスソフトの流通に加え、ハドソンとの提携など流通側でゲーム業界にも参入し、まさにソフトバンクは大成功していきました。次々に他のゲーム会社も取り込んで、まさにソフトの販売流通は全部ソフトバンクに、という時代に突入します。

80年代当時、マイコン用のソフトを買った人なら一度は「JPA CODE」というものを目にしたことがあるのではないでしょうか。当時のゲームソフトの多くに貼られているこのラベルは、ソフトバンクが登録していた商品の流通番号です。

ゲームソフトのパッケージの上部に貼られたJPA CODE

このコードの番号付けには、きちんとした規則があって、番号を見ると、どの機種のどの発売元の何番目のゲームなのかがわかるようになっています。ソフトバンクが当時のソフトの流通をほぼ独占していたならば、このコードの参照元となるカタログが出てくれば、当時発売されたマイコン用のゲームソフトの全体像が俯瞰できる。ゲーム保存協会では、このカタログを探すプロジェクトが始動しました。
カタログの存在や所在を訪ね、元ソフトバンク社員の方にもお声がけをしていましたが、なかなか現物が見つからずほとんど諦めかけていた時です。ひょんなことから、このカタログが、当時は雑誌として書店で一般に販売されていた事実が判明しました。
ソフトについて楽しい記事が書かれているわけでもなく、電話帳のような分厚いカタログで、80年代当時で一冊2,800円もする代物です。買ったところでそこからソフトの通販ができるわけでもなく、ただソフトバンクが管理しているソフトの一覧が見れる台帳ですが、なぜか書店で販売されていたというのです。

てっきり業務用の内部資料だと思ってリサーチしていたメンバーからは「なぜ売ったんだ、ソフトバンク!」の声が上がりましたが、雑誌、つまり一般に流通した書籍であれば、もしや国会図書館に収蔵があるのでは。早速調べたところ、ビンゴです。
81年から84年までに出されていた8冊のカタログが、国会図書館のデータベースでヒットしました。1冊600ページ、合計8冊。国会図書館に通って、すべてのカタログをチェックしていきました。
このカタログには、ゲーム以外のビジネスソフトの情報が大量に入っています。ビジネスソフトの情報も、歴史的に重要な資料ではありますが、ひとまずゲーム保存協会ではゲームに関する部分だけを選び、2019年度アーカイブ事業の予算を使ってこれら資料にあるゲームの情報をすべてコピー、そこからデータベース化を進めました。

全8冊に入っているすべてのゲームの情報を、まずはそのまま抜き出してリスト化しました。
作業を進める中で気が付くのは、ソフトバンク側のカタログ作成に見え隠れする絶妙の手作り感です。よく見ると入力ミスも多く、どうやら当時の実際のゲーム資料について学ぶ際には、このカタログに記載された情報だけを鵜呑みにはできないことも判明しました。
全8冊から登録したゲームソフトの情報は合計で13,700件。
今後、この情報を精査分析して、ゲーム保存協会のデータベースも更新して行きます。この作業で、当時のゲーム雑誌に取り上げられなかったようなマイナーなゲームや人気のなかった作品も含めた、網羅的なゲームソフトの情報が得られます。ゲーム保存協会が収蔵していないソフトがどの程度あるのかを確認するうえで、非常に重要な情報となるでしょう。
ちなみに、雑誌『THE SOFT BANK』は81年から84年までの限られた期間の発行しか確認できませんでした。この値段でこの内容ですから、「雑誌」としては売れなかったのも致し方ないかと思いますが、単に国会図書館に収蔵がないだけの可能性もありますし、84年以降もソフトバンクによるソフト流通は続いていたので、雑誌がなくとも、どこかに業務用のカタログがあったはずです。

80年代当時のマイコンゲームの全容を知ることのできる貴重な資料となります。関連する情報や、実際の資料を持っている方がいらっしゃったら、ぜひご連絡いただければと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。