PC Engine

PCエンジンにまつわる当事者の想いを保存する

ゲームのすべてを残す

皆さんはゲーム保存というと何をイメージしますか?

天井まで積まれた膨大なゲームのコレクションをイメージする方は多いと思いますし、以前は私もその一人でした。

もしもゲーム保存がこれぞというゲームをコレクションすることであるなら、そのゲームはいったいどのような基準で選ばれるべきなのでしょうか?

ゲーム保存協会の理事長であるジョゼフさんと知り合った当初、「後世に残すべきゲームとそうでないゲームは誰がどのように区別するのか?」と質問したのですが、彼の答えは私の目を大きく見開かせるものでした。

「すべてのゲームを残します。今の時代に価値が無いと思われたゲームが後世に価値を見出されるかもしれないから。同じ理由で、ゲームだけでなく、パッケージやマニュアル、当時遊んだ人のテクニックや記憶もすべてがゲーム保存の対象なのです。」

すべてのゲームを残す・・・ゲームのすべてを残す・・・。

途方も無いことのように思えました。

しかし、だからこそ一人の力で完遂することはできず大勢の力が必要なのだと。

特別なコレクションやスキルが無い私にも何かできることがあるのではないかと思い、私はNPOゲーム保存協会に加わったのです。

 

会社の大先輩がPCエンジンを企画していた!

ところで、私には長年温めていたひそかな願いがありました。

それはかつてNECホームエレクトロニクスでPCエンジンの企画に携わった会社の大先輩に当時のお話を伺うこと。

その方がかつてPCエンジンと関わりがあると知ったのは私が入社して間もない頃でした。しかし私にはインタビューをまとめたり、ライターとして文章を発表した経験が無かったこともあり何もせず20年近い月日が流れていたのです。

ジョゼフさんの答えと、私の長年の願いが結びつきました。

当時のお話を伺い記録することもまた、ゲーム保存活動だったのです。

先日その大先輩が引退となり盛大な送別会が催されたその席で私はついに、PCエンジンについてお話をお伺いしたいと申し出て快く承諾を頂くことができたのでした。

インタビューで特にお伺いしたいと考えたのは、NEC側から見たPCエンジンの企画についてです。私の知る限り、世に出ている記事はどちらかと言えばハドソンによる技術寄りの話が多いと感じていましたので、今回はその穴を埋めたいと考えました。

大先輩は実名を出すことは控えて欲しいとのことでしたので、この記事ではK氏と表現させてもらいます。

午後から雨模様という2015年の肌寒い晩秋の日、渋谷にてお会いしました。

以下、インタビューの結果を記します。


 

■パソコン、ゲームとの関わり

沼: パソコンやゲームには学生時代から興味があったのでしょうか?

K氏: 当時はNECのアルバイトでデモソフトのプログラムを書いたりプログラマー向けのテクニカルな解説書を執筆したりしていたから、大学卒業後は、その流れでNECに入社、パソコン事業担当部門に配属されたんだ。

高校時代からコンピュータに興味を持ち、日本だけでなく海外のパソコン雑誌も読み漁り、大学に入ってからは、アマチュア無線とコンピュータを扱う研究会に所属。入学して間もなく、NECからPC-8001が発売されるとすぐに買ってしまったという。

沼: ちょうどパソコンが立ち上がる時期ですね。

K氏: でもパソコン黎明期を立ち上げたさらに上の先輩方の世代から3~4年・・・一世代遅れたんだよね。

沼: ゲームには興味ありましたか?アーケードなどはいかがですか?

K氏: インベーダーゲームなど、よくゲームセンターに通っていたよ。お金がかかってしかたがないから、PC-8001を買ってからはブロック崩しや麻雀ゲームなど、自分でゲームを作って楽しんでいたよ。

 

■入社 ~ PCエンジンの企画前夜

沼: NECに入社してからはどのような業務をされていましたか?

K氏: 入社は旧パソコン事業部。装置側を作りたくて。3rdパーティーと相談して、次はどんなアーキテクチャにしようか、音が弱いから強化しようとか、そういう話をしていたよ。

沼: スプライトの強化はどのようにお考えでしたか?

K氏: コストとLSIの関係でスプライトは積まなかったけど、16ビットパソコンになったPC-88VAのときはガリガリのスプライトアーキテクチャだったね。

沼: ファミコンは遊びましたか?

K氏: 発売されて会社ですぐに買って試してみたね。コンピュータって名前がついていたからね(笑)。もちろん自分でも買ったよ。

1年の半年は商品企画、残りの半年はシステム周りのプログラムを書くといった業務サイクルだったそうだ。転機は入社3年目の1985年。個人用パソコン部門がNECホームエレクトロニクスにまとまりK氏は出向。パーソナルインテリジェンス事業部の配属となる。

NECグループ内で個人向け製品はNECホームエレクトロニクスの分担だから家庭用ゲーム機をやるには動きやすい状況になった、というK氏。1985年はスーパーマリオもでてゲーム市場が温まってきた頃でもあったという。

K氏: これはまだあまり記事になっていない話だと思うけれど、この年、旧NEC本社ビルの一室を借りてゲーム機事業参入のタスクフォースが結成されたんだ。セールスの人と自分と、あと二人。4人のメンバーで3ヶ月ほどゲーム機事業参入の検討をしていた。

ファミコンは何で成功したのか?何が足りないのか?ビジネスモデル含めてリサーチした。

午前中はスーパーマリオを遊んで(笑)、午後はソフト会社をまわってヒアリングしてシナリオを考えた。ファミコンを超えるゲーム機はどうあるべきか、NECとして発揮できるコアコンピタンス(強み)は何かと。

結論は、まずビジネスモデルはパソコンの延長ではダメだということ。ソフト会社を囲い込んでロイヤリティビジネスにする必要がある。

あとはファミコンと比べて一目で違いがわかる表現力が大事で具体的には画像とサウンド。CD-ROMはNECホームエレクトロニクスが立ち上げていたからこれを使おうと。

沼: 1985年の時点でCD-ROMが挙げられていて驚きました。ゲーム機事業参入はその後すぐに動き出したのでしょうか?

K氏: 我々は装置屋さんでゲーム機を作るには当時で言うプロセッサー屋さんとソフトウェア屋さんとの協業が必要だから、タスクフォース解散後は上層部が1年ほどパートナーを探していたよ。

たまたまハドソンも同じようなことをやっていて、ハドソン、セイコーエプソンと組むことになった。パートナーがみつかったからやろう、ということでまた検討に加わることになった。

ハドソンはファミコンのソフトを作っていたからファミコンを知り尽くしていた。
そこに我々のCD-ROMを加えようということ。

CoreGrafx 2

■PCエンジンの企画と開発

沼: そもそもですが、PCエンジンという名前の由来をお聞きしてよろしいでしょうか?エンジンはコア構想のエンジンという意味だと以前何かの記事で読みましたが、PCはやはりNECらしくパソコンのPCなのでしょうか?

K氏: PCはパーソナルコンピューティングの意味で、ゲームだけでなくリビングで幅広く活用してもらいたいという意図があった。

沼: PCエンジンは特にアーケードの移植に強いマシンというイメージがありました。この点は意識されていましたか?

K氏: アーケードというよりもNECがこだわったのはCD-ROM。ファミコンと一目で明らかに違うレベルの表現力を、コストの枠内でどう実現するか。

沼: セガのメガドライブが当時のアーケードアーキテクチャをベースにしていたのと比べるとPCエンジンはユニークでしたね。

K氏: アーケードは高価なメモリをじゃぶじゃぶ使うけれど、家庭用でそれをやったら価格が跳ね上がってしまう。スプライトなどのアーキテクチャはハドソン側が決めたけれど、彼らなりの知見で当時ベストな設計をしたと思う。

沼: 当時、定価24,800円はファミコンよりも高めの値段に思いました。

K氏: 24,800円ではハードの儲けは無かったね。ソフトウェアのロイヤリティ収入があったからなんとか価格を下げられたけど、もしハード単体で開発費も回収しようと思ったら、おそらく5万円とか7万円になってしまっただろう。

CoreGrafx 1

■PCエンジン発売後 : ハードウェア

沼: PCエンジンといえば、いろいろな本体のバリエーションが特徴的でした。例えばスーパーグラフィックスなどはメガドライブやスーパーファミコンを意識されたのですか?

K氏: バリエーションを用意したのは、ただ単にグレードを松竹梅で用意しようというNECらしい発想の結果であって、他社のゲーム機のSPECはあまり意識していなかったな。

沼: PCエンジンを内蔵したシャープのX1ツインなどは、なぜNECのパソコンで内蔵しないんだろうと思いました。

K氏: パソコンに内蔵するとマザーボードを複数開発する必要があり手間がかかるから、そのかわりPCエンジンを内蔵したパソコン用モニタを開発してこれ1台でカバーしようと考えた。X1ツインとは住み分けできていたんじゃないかな。

沼: LDロムロムも変り種として印象深いです。パイオニアの製品ですけどNECホームエレクトロニクスからも出ていたそうで当時はどのようなスタンスでしたか?

K氏: LDロムロムの発売は自分が離れた後だったけれど、当時はやれることは何でもやろう、ポストファミコンだと、いけいけドンドンだったよ。

沼: PCエンジンの事業で、特に盛り上がった印象に残る時期はありますか?

K氏: うーん。特にいつが盛り上がったというより、じわじわとずっと右肩上がりが続いていた印象かな。PCエンジンの雑誌がいくつも創刊されて、テレビでも露出が増えて・・・と。

沼: 熱いですね。

K氏: 業務の2割だけどね(笑) 本業はパソコン。

沼: 2割でそれだけ濃密なのはうらやましいです(笑)

ゲーム機の企画は業務の2~3割で本業はパソコンと言うK氏は、当時PC-88VAを企画し同機のBASICインタープリタを書いていた。PC-88VAは知る人ぞ知るスプライトを搭載した16bit機であり、まさにゲームのためのパソコンである。

沼: 自社でゲーム機をやってよかったと思いますか?

K氏: もともとパソコンをゲームマシンとして仕立て上げてきた歴史があるからね。PC-8801mkIISRのときはガリガリにゲームを意識したよ。

沼: PCエンジンもその系譜なのですね。

 

■PCエンジン発売後 : ソフトウェア

当然のことだがソフトウェアは核心的要素である。ハドソンがついていたとはいえ、ソフトウェアを社外に丸投げはできないとNECグループでNECアベニューを設立するなどの手を打った。そしてキーとなるメーカーとしてコナミの名前も挙がった。

沼: 私は当時メガドライブ派だったのですが、コナミがグラディウスなどのキラーソフトをPCエンジンにばかり投入したのが悔しくてたまりませんでした(笑)

K氏: コナミ参入はハドソンルートだった。ハドソンとコナミは当時から関係が深かったから。当時はサードパーティにランクがあって、コナミはサードパーティの中では契約条件などが特に優遇されていたね。

沼: PCエンジンではスペースハリアーなどセガの看板タイトルが発売されました。

K氏: 自社ブランドで出すリスクをとれないとか、オトナの事情で出せないとかの場合は、アベニューが受け口になっていたね。

 

■PCエンジンの収束

市場の一角を占めるに至ったPCエンジンだが、時代は次世代機へと移ろうとしていた。K氏は1991年、PCエンジンの完成形だというCD-ROM内蔵のPCエンジンDuoを担当し、その後のシナリオをまとめてからNEC本社に復帰した。

一方のパソコンもPC-88VA以降の16bitはNEC本社のPC-9801に集約する方針が固まったため、PC-98DOを企画して社内の88のリソースを統合する道筋をつけた。

沼: コア構想には様々な可能性があったと思います。何かやり残したと思うことはありますか?

K氏: PCエンジンは家庭向け端末としての広がりの可能性を示すことができたと思うが、当時は他に通信もやりたかった。例えるなら任天堂のWiiのようなリビングルームで通信も融合したマシンかな。

ちょうどパソコン通信からインターネットに切り替わる時期にあたってしまいタイミングが悪かった。テレビに向かってネットをする、コミュニケーションするというにはまだ少し早かったね。

沼: たらればの話ですが、PCエンジンが海外でもっと成功していればビジネス判断として次世代機を続けられましたか?

K氏: 次世代機ができなかったのは単純に、ゲームソフト会社をひきつける、ゲーム機に適した3Dアーキテクチャを開発環境も含めて提案できなかったからに尽きる。パソコン用の3Dをそのままもってきてもダメ。

そういうパートナーと組む必要があったが見出せなかった。アライアンスはただ組めばよいというものではなく、PCエンジンのときのCD-ROMに相当する武器がこのときは無かった。

 

■PCエンジンとは : 総括

沼: PCエンジンを総括するなら、どのように言うことができますか?

K氏: うーん。どういう観点で言うか難しいけれど。少なくとも、あれがあったからNECホームエレクトロニクスが5年間は延命できたと思う。

当時、家電事業がどんどん台湾や東南アジアに移って、何か新しい、日本でしかできない事業を興す必要があった。ゲーム機という選択肢は当時としては正解だったんじゃないかな。

沼: まさに企画の本懐ですね。

本日はお忙しいなか、貴重なお話をありがとうございました。


 

まとめ

貴重なお話を伺い、こうしてまとめを書きながら感謝の念を改めて思います。

K氏にはこの場を借りて改めて深く御礼申し上げます。

K氏が担当されたPC88シリーズの話題のあまりの興味深さに思わず話がそれつつも、PCエンジンの熱い記憶をお伺いすることができました。インタビューの記事をまとめることは初めての経験でしたが、取り組んでみて本当に良かったと思います。

 

これからも多くの皆様により様々な方法でゲーム保存が進むことを願っています。

記事をご覧いただきありがとうございました。

 

ゲーム保存協会 沼

写真 ブリエール・エディ

ゲーム保存協会 Game Preservation Society

資料保存のための特殊ケース販売

あけましておめでとうございます。

旧年中は皆様からのあたたかいご支援ご助力を賜り、誠にありがとうございました。

おかげさまでゲーム保存協会は今年で5周年を迎えます。

 

劣化が進むゲーム資料の保存は今、非常に厳しい状況に直面しています。5周年を前に私たちメンバー一同も、「ゲーム文化資料の保存」という基本に立ちかえって、地道に、ひとつずつ、目の前のできることから取り組んで参りたいと存じます。

本年も変わらぬお引き立ての程よろしくお願い申し上げます。 皆様のご健勝とご発展をお祈り申し上げます。

平成28年 1月吉日

理事長 ルドン・ジョゼフ


NPO法人ゲーム保存協会では、ゲームに関する貴重な資料を正しく保管し後世に残すために様々な活動を続けています。ただゲームを集めるのではなく、それぞれの資料を適切な形で保管して劣化から守り、必要なものは順次修復作業やマイグレーションを行うのですが、こうした作業に欠かせないのが各資料を保管庫に収納する際の特殊容器です。

以前の記事にも紹介した通り、ゲーム資料は複数の異なる素材から構成されており、それらをまとめて元の状態のまま放置していると劣化が進んでしまいます。なので、資料を劣化から守るために、まずは資料を素材ごとに分けねばなりません。今回特に注目したいのはメディアです。

例えばフロッピーディスクが入っているゲームソフトの場合、ソフトを包むパッケージの箱はプラスチックや紙でできていることが多く、マニュアルなども紙です。紙は場合によって湿気を吸ってしまったりして、フロッピーディスクの大敵カビをおびき寄せることも。ゲーム保存協会では、メディアが入っている資料についてはまず劣化に弱い各種メディアを抜き取って別の専用保管箱で管理することを推奨しています。

フロッピーディスクやカセットテープといったメディアはすでに複数のパーツから組み立てられたものですが、非常にデリケートで、カビや錆といった外的要因だけでなく、素材そのものが化学的に劣化して変化しうるものです。こうしたあらゆる種類の劣化を最大限に遅らせるためには、まず湿度と温度の管理が重要で、ゲーム保存協会の保管室は365日一定の室温と湿度(20度以下湿度60%以下)を保つよう管理されています。一般家庭での管理の場合、特に日本では湿度に気を付けたいところです。

このように管理した状態でも、資料そのもの、そして例えば部屋の中にある収納用の棚、果ては壁や床などあらゆる場所から微量であっても劣化を促進するガスなどが発生しています。そうしたガスから資料を守るのが資料保存に特化した特殊な専用容器です。

本部のゲームアーカイブ

ゲーム保存協会は資料のマイグレーションは技術も知識も豊富ですが、保管に関しては、長年図書館や博物館で保管庫や収蔵用ボックスの作成を行っている保管のプロ、株式会社日本ファイリングさん株式会社資料保存器材さんに保管用ボックスの製作をお願いしています。

磁気メディアの保管に特化した専用ボックスは、中性紙という紙を使ったディスクケースと、劣化を促進するガスを出さず密閉できるボックスの組み合わせでできています。通常の紙は酸性で、これが資料の劣化を促進してしまうため、フロッピーディスクを長期保管するのであれば、まず発売当初につかわれていた紙のエンベロップから取り出し、保管用の中性紙で作られたエンベロップに移し替えます。中性紙は劣化促進のガスを出さず、丈夫で軽く、さらに湿気の管理もしてくれる優れものです。

現在の保存用箱シリーズ

ゲーム保存協会では日本ファイリングさんにお願いし、約3年前に5.25インチのフロッピーディスク120枚がひと箱に収まるタイプの中性紙エンベロップ付き保管ボックスを作り、現在この保管ボックスたちは当協会保管室で大活躍中です。これに続き、今はテープ用の箱も作っており、こちらはひと箱に20個のテープが入ります。今後、3.5インチフロッピーディスクがひと箱70枚入るエンベロップ付き保管ボックスを製作する予定になっています。

テープ資料に関しては保管ボックスの他に、今回特殊なケースをアメリカから注文しました。特殊素材で劣化からテープを守るもので、軽くコンパクト、劣化促進のガスを出さず、テープがケース内で回らないよう固定できるほか、ケース自体の素材にやや弾力があるのでケースの破損も避けることができます。

カセットテープ用保存箱

今回、このテープ用ケース類を大量注文しており、ゲーム保存協会内にまだ幾分か余りがあります。ひと箱に20個のテープが収まる専用保管ボックスと、20個分の専門テープケースがついて、4800円(税込+送料別)です。もし購入希望の方がいらっしゃいましたら、下記までご連絡ください。

連絡先 info@gamepres.org

ゲーム保存協会 Game Preservation Society

ジャパン・タイムズに理事長ルドンのインタビューが掲載されました

0_JapanTimesゲーム保存協会の理事長ルドン・ジョゼフのインタビューが、英字新聞「ジャパン・タイムズ」に掲載されました。
2015年9月16日発行の記事です。
今回は、この記事を翻訳してご紹介いたします。

 


Play it again: One fan’s quest to save old video games

レトロゲームよもう一度 ―とある愛好家の古遊戯救出物語―

BYデイブ・クレーカー

ジャパン・タイムズ 2015年9月16日の記事

 

私たちは小津安二郎氏が日本を代表する映画監督の一人であると考えていますが、彼の初期作品のいくつかは、映画が残すべき芸術作品としてではなく、使い捨てのエンターテイメントだと考えられていた時代があったせいで、私たちの歴史から完全に失われてしまいました。ゲーム保存協会理事長のジョゼフ・ルドンはビデオゲームが同じ状況になってしまうことは望みません。

「例えばオペラを『古い音楽』とは分類しませんよね。クラシック音楽です。ビデオゲームも同じです。ここにあるようなゲームタイトルはクラシックで、クラシック音楽と同じような価値があるんです。薄汚い攻略本から、どんな風にメディアが包装されていたかまで、ベストセラーのもの以外でも、全てを保存しなければなりません。」

ネットワーク・エンジニアを職業にする彼は、満面の笑みをたたえ、語り口はまるで整頓された配線コードのように理路整然としています。フランス生まれの彼は、日本のPCレトロゲームの研究と収集のために2000年に東京へ引っ越してきましたが、日本では古いコレクションがレトロゲームのコミュニティーごと萎縮し消え去っていることを目にして衝撃を受けました。彼はネットオークションや掲示板を通じて、レトロゲームに対する情熱を共有する仲間たちとコンタクトを取るなどして、少しずつ自分なりのやり方で研究を進めていきました。そして2011年、いわばサブカルチャーのゴミ収集所からゲーム文化を救い出すため、NPO法人『ゲーム保存協会』を設立したのです。

私たちは東京の等々力近郊にある4階建てのマンションでインタビューを行いました。ここは団体の作業スペース、アーカイブ、そしてルドンの自宅として使われています。レトロゲームに向き合う彼の姿勢は素晴らしい。しかしなぜ今日の人々が、例えば(適当に収納棚からパッケージを引っぱり出してみた)『森田の将棋』という、将棋のシミュレーションゲーム(かな?)のことを気にかける必要があるというでしょうか。ルドンはよどみなく答えました。

「あぁ、森田さんは美しいアルゴリズムを書いた本当に特別なプログラマーですよ。当時はコンピューター雑誌が主催して読者の作品コンテストをよく行っており、森田さんはその受賞者でした。賞金一千万円に作品毎への著作権料がもらえる、なんていうこともあったんです。」

ルドンはアーカイブしているどんな作品についてでも、ちょっとした逸話が語れます。ディスクは単なるデータ以上のものなのです。こうしたディスクは現在のゲーム産業が拠って立つ忘れられた歴史を語っています。当時のビル・ゲイツのような独学プログラマーたちが、雑誌コンテストでの成功を経て任天堂やセガやソニーといった会社に入り、ソフトウェアの開発をしていったことを想像して見て下さい。

しかしながら、国のビデオゲーム博物館内の殿堂で、そうしたプログラマー達の名前を見ることはできません。そもそも日本にはそんな博物館など存在しません、はい終わり。ビデオゲームは日本のクールジャパン・ソフト戦略の一角をなしているのに、なぜ政府はこれらゲームを、映画やアニメと同じように、保存―あるいはその芸術性を宣伝する動きに乗り出さないのでしょうか?

これはどうも各機関の間での利害関係の問題のようです。ルドンは以前、政府が主催するビデオゲーム・データベースのアドバイザーを頼まれましたが、その内実は立ち入り禁止で近寄れないことだらけだったのです。

「政治家はどこに資金が流れるべきかを事前に決めています。団体組織を作る唯一の焦点は政治家自身の天下り先確保にある。ただビデオゲームの場合、多くの政治家はイメージ的にそんなものに自分が関わっていると見られたくないとも考えている。」と彼は説明します。こうした微妙な背景のもとに進められる困難な交渉事は、時間の無駄でした。時間はルドンが決して無駄にはできない重要なものの一つです。彼の試算では、フロッピーディスクの寿命は理想的環境化で保存しても30年ほどです。湿度の高い日本の夏は理想的環境からは程遠いのです。

ルドンは建物2階の室内環境をコントロールしている保管室に私たちを案内してくれました。そこは20,000枚のディスクを保管する特注ケースが天井まで整列した巨大なウォーク・イン・クローゼットになっています。この部屋は室温が年中20度以下に保たれ、湿度が60%を上回れば、近隣にいる団体メンバーにアラーム信号が送られて、何が起きているか確認しに誰かが駆けつけるようになっています。万が一カビがディスクにこびりつけば、ゲームオーバーなのです。

写真:ゲーム保存協会のメディアルーム

それでもこれは完全とは言えない一時的な解決法でしかありません。彼の目指すエンディングは、ディスク内のデータを安定した動作環境に移動させること、つまりマイグレーション(移行)なのです。ディスクにはコピープロテクトがついています。このプロテクトをクラックしてコピーされたデータは真正性のないデータで、プロテクトを外したことによるバグが発生している危険もあります。デジタル保存の厳しい審査基準に基づけば、クラックされた改変データは、シミの付いたモナ・リザのレプリカ同様に無価値なものとみなされるのです。

そこで登場するのがディスクのデータをクラックせず完璧な状態で転送することができるKryoFlux(クリオフラックス)というクレジットカードサイズの小さなデバイスです。この機材を導入することで、昔のパソコンのディスクドライブから全く改変されていないディスクの完璧なコピーを現代のマシンに移すことができるのです。これはMRIが我々の脳の動きをマッピングするのと似たやり方で、ディスクの磁気記録をマッピングします。ここから、ゲームをエミュレーターで起動することもできますし、あるいは新しいフロッピーディスクに書きこんで元のハードウェアで同じように起動させることもできます(もちろんハードウェアがまだ動く状態だと仮定して)。

ゲームはまず何よりも、遊ばれるために存在するものなので、ルドンと彼の仲間たちは古いアーケード筐体のメンテナンスも手伝っています。

「クラシックカーの修復と同じだと考えてください。」と彼は言います。「もちろん、その車のエンジンを新しいパーツで再生産することはできます、ただ乗り心地は変わってしまう。愛好家はオリジナルの方により高値を払います。まさに金持ちの道楽ですね。」

説明のため、彼は特注品のピンチローラー(テープリールを巻き取るための回転部分のパーツ)が入った箱を取り出しました。ルドンが復元するまで失われていたDECOカセットシステムに使われたものです。原型だけで10,000円がかかりました。彼は80個注文しました。

もし、こんなゲームの歴史に触れたいと思ったらなら、ルドンおすすめの秋葉原にある「ナツゲーミュージアム」というゲーセンと、「中古ソフトショップBEEP」に行ってみるといいでしょう。彼の理想は、レトロPCゲームをより一般に普及させるような公式エミュレーターの開発なのですが、資本が限られています。NPOに17人もの中心メンバーらがいるとしても、次のレベルへ活動を進めるためには政府や産業界の支えを必要としています。

ルドンのレトロゲーム趣味は完全に彼のライフワークになりました。もしこのアーカイブ事業が全て完了したら、次はどうするのでしょう?

「今のところ、私がまだ遊んでいないクラシックゲームの長いリストがありますから」そして彼は、「そうなったら、いつの日かついに私もそのゲームたちを座って遊ぶ時間がもてるでしょうね。」

 


NPO法人ゲーム保存協会についての情報は次のサイトを参照
ゲーム保存協会 www.gamepres.org

ナツゲーミュージアム www.t-tax.net/natuge
BEEPショップ www.akihabara-beep.com/info/


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