ゲーム保存協会本部資料室開放のお知らせ

うららかな春の訪れとなりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。本日はゲーム保存協会から嬉しいお知らせです。
このたび東京都にあるゲーム保存協会本部内にて「ゲーム資料室」をオープンいたしました。1976年から94年までのPC関連の雑誌資料を配した、ゲームの研究をされる方々にご利用いただける図書室となっております。書架に並べられている雑誌はログイン、コンプティーク、ポプコム、テクノポリス、Oh!シリーズなど、約2200冊以上。国会図書館が所蔵していない資料もございます。団体ではそのほかにも保有している資料がございますが、現時点ではPC関連の雑誌のみの公開となっており、研究のためにここを必要とする方に無料で開放しております。
80年代を中心としたビデオゲームの歴史研究はまだまだ発展途上の段階です。沢山の研究者が活発に活動を続けることで、この分野が学問としてより一層活気付き豊かになることを願い、ささやかではございますが資料の一部を公開し多くの研究者の需要に応えてききたく努力いたします。
資料室の使用方法については下記に詳細を載せております。
資料室書架の雑誌にはまだまだ欠品が多く(特にテクノポリスと月刊アスキー)、付録も揃えることは大変ではありますが、今後も継続して充実した資料室作りに努めます。
一人でも多くの方のお役に立てるよう頑張りますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

ゲーム保存協会 ルドン

資料室について

目的
当資料室はゲーム文化研究の振興と研究者の育成を目的として開設されました。一般の図書館等で手に入りにくい資料をより多くの人に活用してもらい、次世代の研究者に研究の機会を提供します。
所蔵資料
現在、資料のデータベースを作成しておりますが閲覧可能な雑誌のリストをご確認下さい(クリックしますと新しいウィンドウが開きます):

●ゲーム保存協会資料室閲覧可能リスト

利用条件
ゲームに関連する事象を研究する正規の研究者あるいは学生、ゲームに関連するホームページの作者、ゲームに関する記事を執筆するジャーナリストや同人誌のライター。
NPO法人ゲーム保存協会会員(サポーター・正会員)で、協会内のプロジェクト遂行上、資料を必要とする者。

所在地
東急大井町線 尾山台駅より徒歩15分、等々力駅より徒歩15分、自由が丘駅よりバスにて15分
利用方法
こちらのフォームより必要事項をご記入の上、施設利用のご予約をお願い致します:

アーカイブ利用の予約フォーム


EYE150502

Sadao YAMANAKA (山中貞雄)

ゲーム保存協会が目指しているもの

当団体「ゲーム保存協会」は、その名の通りビデオゲームの保存を目指す団体です。そういう話をする際に「何を残すんですか?」と聞かれることがままあります。

それに対する答えは決まっています。

「全部」です。

非常にアッサリとしすぎているせいか、聞かれた方から意外そうな顔をされる事が多くあります。その気持ちは分かります。

しかしこの答えは必然的に導かれるものです。一品物の絵画や工芸品であれば「何を選んで」コレクションを形成するか、というのは美術館や博物館の重要な目的となりえますが、元が(基本的には)量産品であるビデオゲームについては「全部」というのが理想的な答えとなります。

このあたり、直感的には分かりづらいところがあるようです。

本、雑誌、映画、TV番組、音楽などを「メディア芸術」と呼びますが、比較的近年のものであるゲームも、こうした作品と同じ性質を持っています。

こうしたメディア芸術の歴史はそれ以前からある絵画や彫刻などと比較して歴史が浅いのですが、そのために保存に対しての姿勢というものが考えられるようになった時期もかなり遅く、残すべき物を残すことができなかった歴史があります。

いくつか例を紹介しましょう。

・映画
映画は1895~1896年頃に実用的な仕組みが発明され、今日に至っています。当初は既にある風景を撮影したものを見せるだけだったものが、様々な技法の開発と共に架空の物語を映像として見せることができるようになりました。
しかし見せ物としての側面が強かったためか、人気が落ちて集客力が落ちた映画フィルムは廃棄されることが普通でした。場合によってはフィルムに使用された銀を回収し、フィルムそのものも再利用するために、映像を洗い落とされたりもしたといいます。「作品」としての価値はその時限りのものとされていたわけです。
結果として、初期のサイレント(音のない)映画の残存率は高く見ても15%程度と言われています。これは日本に限っても事情は変わらず、国産サイレント映画の残存率は当時の10%未満だそうです。
アメリカでは著作権保護のために紙に複写された映画を議会図書館に納める必要があったため、そこから蘇った作品が多くあるといった事情はあるものの、大半は失われて二度と見ることができないと言われています。
日本でも今日では高い評価がなされている、小津安二郎の初期の作品群や、小津安二郎が功績を称える石碑(これは京都に現存しています)まで建てた山中貞夫といった監督の作品の多くが失われています。
映画の保存が意識されるようになった時期は国によって一定ではないものの、1930年代以降であることは間違いありません。映画の世界では、既に取り返しのつかない損失とされています。近年でも「忠次旅日記」(1927年)の一部など稀に当時の作品が発見されることもありますが、あくまで例外中の例外です。これは、当時の素材の性質として劣化が避けられないという事情もからんでいます。
忠次旅日記(監督・伊藤大輔)
【写真】忠次旅日記(監督・伊藤大輔)
懺悔の刃(監督・小津安二郎)
【写真】懺悔の刃(監督・小津安二郎)


・TV番組

映画の世界で起きた損失は、同じ映像を扱うTV業界に教訓を与えたのか?というと、残念ながらあまり影響を残していないようです。

意外にもNHKにすら1980年頃までは全ての作品を残すという意識がなく、多くが失われました。これは当時使われていた放送用の磁気記録のビデオテープが極めて高価で、再利用するために消していたという事情があります。

費用をかけた大河ドラマですら残っていないものが多く、第一回と最終回だけ、稀にそれに加えて総集編の三回しか残っていない、という番組はたくさんあります。ただし、映画の機材を使っていたTVドラマやアニメーションはフィルムの再利用ができず、また単価が安かったためか、消されることなく古いものも残っているようです。例えば、1972年~1986年に放送された「太陽にほえろ!」は今も再放送されたりDVDになったりしています。

「少年ドラマシリーズ」(1972年~1983年)といった実写ドラマや「新八犬伝」(1973年~1975年)「プリンプリン物語」(1979年~1982年)などは残存状況が悪く、NHKでは当時の放送を家庭用ビデオで録画していた人からの募集を続けています。しかし、普及率の高かったVHS方式のビデオデッキが発売されたのが1976年であり、それ以前の番組については今後出てくる可能性は限りなく低いと思われます。例外として「少年ドラマシリーズ」の第一作「タイム・トラベラー」(1972年)の最終回がオープンリール方式の家庭用ビデオテープの録画が発見されましたが、他の四話は未発見です。その後作られた「続 タイムトラベラー」(1972年)は、全話の映像が残っていません。

 

こうした事情の何が悪いのでしょうか。
単純に、昔見たものをもう一度見られない、というのも問題ではあるのですが、だったら当時見た人が全員亡くなられたら解決、ということになってしまいます。
もちろんそうではありません。
懐かしさとは違う、作品としての評価というものはいつの時代でも可能です。古い作品でも、今見て新しい発見があるかもしれません。作品が残っていないということは、そうした評価の可能性をなくしてしまいます。
また、歴史の中での評価があったとしても、作品を見ないことにはそれが正しいのかどうかの検証もできません。それを可能にするのは、作品そのものだけなのです。

なぜ残らなかったのか?の答えは一つではありません。単に経済的な理由だったものもあれば、火事で燃えてしまった場合もあります。例外的ではあるものの、スキャンダルを起こした俳優の出演した映画が意図的に廃棄されたことすらありました。事故を除いては「後から必要になるとは思わなかった」というのが本当のところでしょう。
しかし、後になって価値が出てくる作品というのは確かにあります。
ヒット作を作った作者の過去の作品を見たい、というのは最もよくあるパターンです。ビデオゲームでは「メタルギア」がそういう作品でした。1987年に第一作が、1990年に第二作がMSX2というハードに向けて発売されましたが、以後はあまり取り上げられることがなく、1998年の「メタルギアソリッド」の発売までは埋もれた存在でした。「ソリッド」のヒット後から数年してネットオークションが始まり、それから高値がつくようになりました。「メタルギア」「メタルギア2」共に今では当時の中古に定価以上の値段がついていますが、1995年頃はMSX作品のほとんどに値がつかず、中古の流通自体が止まっている状態でした。

さて、最初の疑問に戻ります。今では有名となった作品ですらろくに値がつかないような時期がありました。しかし後になってその価値が変わり、需要が生まれるということがあります。

その時に残っていなかったら?残念ながらどうにもなりません。見ることのできない作品に価値は生まれず、評価もされず、ただ忘れられていくだけとなります。

それを防ぐためには「全部」残しておくしかないわけです。それをしなかったのが映画であり、TVの世界なわけです。価値は必ずしも金銭的な価値を意味するわけではありませんが、今出したら売れると分かっていても、残っていないから出せない、という作品はいくらでもあるのです。

また、「全部」という言葉にはもう一つ意味があります。「保存に際して、作品の価値判断をしない」ということです。

これは先に説明したように、その時点で価値がないとされた作品でも、後から光が当たることがあるかもしれない……という側面もありますが、もう一つ「価値判断のための議論に時間を裂かない」ということでもあります。

例えばです。発売当時に売れたゲームと売れなかったゲームがあります。どちらかを残すということは、どちらかを捨てるということです。売れなかったゲームは捨ててもよい、とすると、何本以上売れなかったソフト捨てるのか?という調査が必要になります。

これが内容から判断するとなるとさらに難しく、「エッチな内容だから」捨てる、あるいは「つまらないから」捨てる、と考えたとしても、そこに基準を設けるために「議論」が必要となります。しかもこうした基準には客観的な指標はありません。果てしのない議論が必要です。そんなことをしているうちに保存が間に合わなくなる、それを防ぐためにも「全部」保存するほうがまだ早い、わけです。このあたりの考え方は、国立国会図書館などでも同じです。収蔵されていない本や雑誌はありますが、それは納本されなかったためであり、意図して選別したわけではありません。

ビデオゲームはその歴史がまだ浅く、40年程度の歴史しかありません。映画やTVの初期がそうであったように、その時代限りの娯楽と捉えられていた時期が長く、また技術革新の速度が速かった1990年代前半には、一世代前までの作品がかなり廃棄されたことが分かっています。特に8ビットPCの作品については今になって高値がつくことが増えましたが、数年前までかなり安価に流通していました。

ビデオゲームはまだ当時の作者やユーザーが数多く残っています。しかし、映画は当時見た人もいなくなり、作品の発見も望めないものについては、評価されることもなくただ忘れ去られるばかりとなっています。当時いかに高く評価されたとしても、その記事だけでは作品の価値は分かりません。監督が偉くても、評価されても、作品そのものの価値を知ることはできません。TV番組も同様です。

我々は、ビデオゲームで映画やTVの世界で起きた悲劇を起こさないために活動しています。そのために、最初の質問には「全部」と答えているわけです。

現実的には難しいかもしれません。既に完全に失われた作品があるかもしれません。それでも、「全部」を目指して活動することが、先人たちの残した教訓なのです。

ゲーム保存協会 日下

 


<参考資料>

「探検バクモン 禁断の映画パラダイス(前編)」2012/10/30放送
「探検バクモン 禁断の映画パラダイス(後編)」2012/10/31放送
「NHKアーカイブス シリーズ人形劇(1)プリンプリン物語」2012/2/12放送
「NHKアーカイブス シリーズ人形劇(2)新八犬伝」2012/2/19放送・2013/2/17再放送
「MAG・ネット~マンガ・アニメ・ゲームのゲンバ~ 3月号」2013/3/2放送
「NHKアーカイブス 復刻!未来からの挑戦」2015/2/15放送
「映画史探究 よみがえる幻の名作・日本無声映画篇」無声映画鑑賞会、マツダ映画社、株式会社アーバン・コネークションズ・2003年
東京国立近代美術館フィルムセンター・Webサイト
特定非営利活動法人 映画保存協会・Webサイト

 

仏大手新聞社にて当団体が紹介されました

ゲーム保存協会と理事長ジョゼフの日々の活動の様子が、フランス大手新聞社ル・モンドで記事として紹介されました。
テクノロジーに関するニュースを掲載するデジタル版ル・モンド2014年7月17日の記事です。
今回は、このフランス語の記事を翻訳してご紹介いたします。
記事のための取材を受けたのは昨年夏で、協会のメンバー数など記事に書かれている内容は昨年夏の情報のままとなっております。

日本にて、ゲーム保存技術者とともに

 ある団体が、日本の初期のゲームを保存する長く困難な作業に乗り出した。

 「もし何もしなかったら、全てが消えてなくなる運命なのです」、彼の地に移住して13年になるジョゼフ・ルドンは語る。彼は幼い頃から日本のビデオゲームに魅了されてきた。家庭用ゲーム(特にPCエンジン)のみならず、アーケードゲーム(ゲームそのものや筐体などの機器全般)にも関心を寄せており、16歳でパリに出てきたのだが、生まれ故郷エヴィアンにいる頃からすでにゲームは彼にとって第一の関心事だった。日本に行きたいという子供の頃からの夢を実現し2000年に日本にやってきたのだが、その動機は日本のゲームの歴史を研究するためであり、特に日本列島から一度も外に出されたことのないゲーム-ほぼ全ての日本のパソコン用ゲーム-を研究するためだった。
 来日してほどなく、日本では自国のポップカルチャーの保存に十分な関心が払われていないことを知り衝撃を受けた。特にゲームは保存すべき価値があるものとは認識されておらず、1970年代や1980年代の初期のゲーム機の多くが残っていないことを知ったのだ。またその当時使われていた記憶媒体(フロッピーディスクやカセットテープ)は、日本の厳しい気候条件(特に夏は湿度が100%近くに達する)もあり、良好な状態を保つことは困難に思われた。公共機関も民間団体も、ゲームの保存事業に乗り出している様子はみられなかった。
 さらに残念なことに、日本のコレクターの中には保存事業に懐疑的で、自身のコレクションを公にしたくないという考え方も珍しくなかった。これはよくある日本の価値観の一つだが、秘蔵されあまり知られていないレアなものほど、その持ち主にとって高い価値を生み出すという考え方であり、コレクターはしばしばこうした考え方で自身のコレクションを非公開にしておくのだ。それでも、ジョゼフ・ルドンは同じようなゲーム保存の理念を持って日本の文化遺産を保存する必要を感じる日本人、福田と出会った。こうして2011年に彼らはともに『ゲーム保存協会』という、ゲーム保存を目的とした非営利団体を立ち上げたのだ。


写真:東京の住宅地の借家で、ジョゼフは大切にゲームを保管している


写真:協会のラボの一部


写真:協会の建物にある保管室はすでに手狭となってきている


写真:保管容器


写真:ゲーム保存協会がある建物の各部屋には温室時計が壁にかけられている


写真:レアもののスーパーマリオ

 現在この協会には16名のメンバーがいる。第一の狙いはまず、この多種多様な文化を余すことなく正確に記録すること。そして次に、いまだ動作する希少な純正の遺物を収集することだ。東京の住宅地の一角に構えられたラボでおこなわれている彼らの研究で特に印象深いのは、劣化し消滅しつつある古いゲームの保存に用いられる技術の全てである。これらは非常に困難な作業だ。ジョゼフと福田の二人は、よくあるコピー品ではなく完全なオリジナルのみ保存することを絶対のルールとしている。彼らはこうしたゲームを分析・解析し、すでに忘れ去られたテクノロジーについて記録を残し、オリジナルの機器類をデジタル文明黎明期の遺物を探る考古学者のように修復保存する。


写真:ゲーム保存協会はゲームのパッケージや説明書などの保存活動もおこなっている


写真:協会メンバーの一人、松原圭吾は、日本のゲームに関連する全ての書籍と雑誌をコレクションしている


写真:協会の書籍と雑誌のコレクションの一部


写真:大型ゲームセンターの傍らで、レトロゲームを扱うゲームセンターは懐古趣味をもつ日本人を惹きつける


写真:貴重なお宝を求め、ジョゼフは日々、中古屋を巡り歩く


写真:理事の一人である小林正国は、自らも中古販売の会社を立ち上げており、資料の収集をおこなっている


写真:ゲーム保存協会のラボでは保存作業ができる専門の技術者を集めているが、それだけでなくこれから技術を学びたいと考える意欲的な人々も集まってくる


写真:関連会社はすでになく、基板や関連機器は全て、手作業で復元される


写真:カセットテープ版のゲームが入った箱

 こうした活動の中で彼らが誇りに思うような成果も出ている。たとえば秋葉原にあるレトロゲームが遊べるゲームセンター『ナツゲーミュージアム』に行き、デコカセ(データイースト社が1980年代に開発したシステム)と呼ばれる、彼らが修復に成功したゲームで遊ぶことは彼らが誇れる成果の一つだ。「愛着を持って修復するんだ、あたかも1920年代のレトロカーBugattiを修復するようにね」、ジョゼフは語る。ニューヨークの近代美術館によるビデオゲーム・コレクションの購入は、彼らがライフワークと捉えているゲーム保存活動の追い風だ。ジョゼフはしばしば、浮世絵を例に挙げる。この『浮世を写す絵』は、西洋人がコレクションをはじめるまで日本では保存すべきものとは考えられていなかった。しかし今日、浮世絵は国宝と考えられるようになっている。


写真:ジョゼフは、ゲーム保存協会が修復したデコカセを置くナツゲーミュージアムに、しばしば遊びに行く


写真:多くの若い世代には忘れ去られているが、古いゲームは秋葉原のいくつかのゲームセンターで遊ぶことができ、懐古趣味をもつ日本人を魅了している


写真:名古屋近郊のジェネシスというバーには、レトロゲームマニアが集まる

元の記事:Au Japon, avec les conservateurs de jeux vidéo
記者:Nicolas Datiche